第44話

3-44.mp3 「って…。ってぇよぅ…。」 助手席で頭を抱えて消え入るような声を発するのは朝戸慶太である。 「立って歩けるか。」 「無理…。」 「ふぅ…じゃあちょっと待ってろ。」 「待って、置いていかないで…。死んじまう。」 「5分だけ我慢しろ。」 「待てよ…さっき10分我慢しろって…。」 「できるよな。」 空閑は車を出て走っていった。 自身の鼓動に合わせて頭に激痛が走る。 この頭痛には血流が影響しているのは素人でもわかる。 しかしなぜそれが頭という部位だけに起こるのか。 などとつまらぬ原因究明の思考をするも、それがためか痛みが激しくなった。 「あ…もう無理…。」 瞼によって閉ざされた彼の視界は暗闇から白みがかったものに変わった。 車発信した。 助手席の朝戸は窓から鼓門を見上げた。 「ビショップ。」 「うん?」 「さっきグロテスクで街にそぐわないって言ってたよね。この門。」 「…。」 「でも結果的に大衆に支持されてるみたいだから、これは正解なんだって。」 「ああ…。」 「正解かどうかは他人が決めることじゃない。自分が決めるんだと思うよ。ビショップがグロテスクだと思ったならそれはグロテスクなんだ。他人が評価しているから良いものだとは必ずしも言えない。」 「…。」 「別に金沢ディスるわけじゃないけど、ガラス張りのドームみたいなものと木造のへんてこな和風の門。正直微妙だと俺は思った。」 「そうか…。」 「…

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第43話

3-43.mp3 自販機の音 缶を開けて飲料を飲む 「相馬…?」 三波は手にしていたスマートフォンをポケットにしまった。 そしてベンチに座って缶コーヒーを飲む男をサングラスの中から見つめた。 ー間違いない。京子のやつ浮足立ってると思ったらやっぱり相馬がここに帰ってきてたんだな。 相馬は本に目を落としている。 ーそれにしてもあいつところで何やってんだ…。見舞いは基本午後からだから、え…まさかなんか病気でも抱えてんのかあいつ。 本を読んでいる相馬がこちらに気づく様子はない。 ー片倉は相馬が今この病院にいるって知ってんのかな…。まぁあいつのことだから、そんな事チクっても自分らのことに第三者が首突っ込むなって言うだろうな。 飲料を飲み干した三波はそれをゴミ箱に捨てた。 「相馬周。」 「え?」 自分の名前を呼ぶ声が聞こえて相馬は顔を上げた。 サングラスの男がそれを外した。 「あっ三波さん。」 「おう、覚えてた?」 「あ…はい。」 「久しぶりだね。」 「本当ですね。」 「どしたのこんなところで。」 「三波さんこそどうしたんですか。」 「俺?俺はちょっと知った人がここに入院しててそのお見舞いで。」 「あぁそうなんですか。」 「お前こそどうしたんだよ。」 「自分は…。」 手にしていた本を閉じた相馬は神妙な面持ちになった。 「すまない。ひょっとしてデリケートな部分に入り込んでしまったかな。」 「…いえ。…

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第42話

3-42.mp3 雨が降っていたため、外気は肌寒い。 車から降りた彼は後部座席においていたジャンプジャケットを羽織った。 「大学病院…。」 かけていたサングラスを少し傾けてそこから見える建造物を見た三波は 時折物陰に身を隠しながら、男の後を追った。 週明け午前中の石川大学病院の外来は混雑していた。 彼が付ける男は週明け午前の混雑する外来には目もくれずに、そのまま病棟の方へと向かった。 ー病棟って、誰かの見舞いか…。 病棟にある3機のエレベータ。そのうちのひとつに男はひとり乗り込んだ。 それが5階で止まるのを確認して三波もまた、そこに向かった。 エレベータの中の音 ー5階って何だ。 彼はエレベータの中に表示されている各階病棟の診療科を見た。 ー血液内科…。 エレベータを降りるとすぐそこにナースセンターがあった。 初めて来る場所であるため、三波の挙動がおかしい。 そのため彼はそこにいた看護師に声をかけられた。 「お見舞いか何かですか。」 「あ…はい。」 「面会は基本的に午後からですよ。」 そう言って彼女は立てかけられているPOPのようなものを指差した。 そこには『特段の事情がない限りの午前の面会はお断りします』と書かれていた。 「どちらさまですか。」 「え…。あの…。」 「用がないんでしたら出直してください。」 「すいません。」 三波は名刺を彼女に見せた。 「ちゃんねるフリーダム…?…

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第41話

3-41.mp3 「おい…。おい…。」 薄っすらと開いた目にぼんやりと人影が映る。 「大丈夫か。いい加減起きてくれ。」 ー起きる?何言ってんだ。俺は起きてるよ。 ゆっさゆっさと自分の体が揺さぶられているのに気がついた。 「おい。しっかりしてくれ。なぁ。」 ーあーめんどくさいなぁ…こいつ…そっとしてくれよ…。」 「おい!」 ビンタの音 頬がじんわりと熱を持っている。 そこに手のひらをあてがった彼はゆっくりと目を開いた。 男がこちらを覗き込んでいた。 「あ…。」 「あ…じゃないだろ…。大丈夫かよお前…。」 「あれ…。俺…こんなところで何やってんだ…。」 「え?」 「俺、なに…まさか寝てた?」 「あぁ…死んだように寝てたよ。」 「いつの間に…。」 あまりにも呆然とした表情の彼の様子が気になった。 「おい、お前俺のことはわかるか?」 「あ、あぁ…。」 「俺の名前は。」 「…ビショップ。」 「はぁ…よかった…。」 空閑はひとまず安堵の表情を見せた。 「随分疲れてるんだな。何やっても何の反応もしなかったんだぜ。本当に死んだのかと思った。」 「あ…すまない…。俺、全然記憶ないんだ。車に乗って、金沢駅の門を見上げて、目的地の場所をカーナビで見て…。」 「金沢の観光プロモーションビデオをカーナビに表示して、お前に見てもらってたらいきなり寝落ち。」 「え?」 「えって…本当に記憶ないんだな。」 …

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第40話

3-40.mp3 「着いたぞ。」 車を止めてエンジンを切り、助手席の方を見るもそこに座る朝戸は深い眠りに着いたままだった。 「ふぅ…。」 ため息を付いた空閑はシートベルトを外し、車の外に出た。 雨が降っていた。 ここはひがし茶屋街や主計町といった金沢の町家建築が立ち並ぶ観光エリア東山。 大通りから一本筋を入ったところに、昭和の薫りが立ち上る場所がある。 朝戸が泊まる宿はここにあった。 携帯操作音 「すまない。仕事中に。」 「な んだ 。」 「ちょっとだけ聞きたいんだけどさ。すっげー寝てるんだけど…。これ大丈夫?」 「…仕方 ないよ。」 「問題ないんだ。」 「う ん。」 「わかった。ありがとう。」 「あ。」 「うん?」 「早め に 見せて…。」 「あぁそうだね。」 「悪い影響が。」 「分かってる。すぐに連れて行くよ。」 携帯切る 死んだように眠る朝戸を空閑は見つめた。 「死んだはずの妹がそこで生活を営んでいる。そんなもん見たらむしろこいつの精神状態がおかしくなりやしないか…。」 「クイーンのやつもナイトのことになると正常な判断が鈍る傾向があるみたいだ。」 「あの人のように…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ドアを開く音 足音コツコツ 椅子に座る 「すまんな。迷惑をかけている。」 「そうですね大迷惑です。」 百目鬼の目の前にガラス越しで座る松永の頬はこけ、目の下…

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第39話

3-39.mp3 「は?消えていっとる?」 「はい…。」 「どういうことや。」 IT捜査官はパソコンの画面を片倉に見せた。 「これが我々が昨日見ていたSNS上のコメントです。『ウ・ダバ 池袋 犯行声明』でフィルタリングしています。ご覧の通り、例のツヴァイスタン語の映像はウ・ダバ犯行声明だってことで次から次へと拡散されています。ちなみに関連するコメント数は10万です。」 「うん。」 「…でこちらが現在のもの。先ほどと同じようにフィルタリングすると…。」 「…なんじゃこりゃ。該当する件数がぐんと減っとるがいや。」 「はい。わずか200件。つまりこの数時間内で出本のコメントはおろか、それを拡散した二次三次のコメントの存在も消え去っているってわけです。」 「こんなことって…。」 「あります。」 「え?」 「ロシアの方で当初普及した『消えるSNS』ってやつです。」 「消えるSNS?」 「はい。」 「消えるSNSってなにが良いんや。」 「SNSサーバー上の痕跡を消すので、秘匿性の高い情報をやり取りするには便利です。たとえばビジネスのやり取りをするとか、いかがわしいことをやりとりするとか…。とにかくSNS上の情報が一定の時間経過後忽然と姿を消すんですから、けっこう過激な内容があります。」 「ふうん。」 「今回のこの動画が拡散したSNSの問題は、その消える機能が実装されていないにもかかわらず、何らかの原因でコメントが消え去ったって点です。」 「そうやな。」 「…

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第38話

3-38.mp3 相馬は石川大学病院の外来窓口にあるソファに座って本を開いていた。 「東一病院時代の光定の机の中には人間の目の写真がぎっしり。鍋島の特殊能力発動条件はやつの眼力。曽我の裏方として鍋島の特殊能力の分析をしとった光定はどうやらそれには気がついとったみたいやな。」 「しかもその写真には気分が高揚するなどの妙な力があった。光定は鍋島能力の再現を図っているのかも。」 「もしもその鍋島能力の再現がすでにできとって、その精度を上げる段階に入っとるとしたら、あいつが山県と直接接触するのはなにかの意味があることなんかもしれん。」 「とは言え、そんなことを理由にいきなり光定周辺にガサ入れってのも無理ですし。」 「そうそう。特高からケントクに相馬捜査官レンタルの書類が正式に届いたみたいやし、おまえ光定調べてくれんけ。」 「え?」 「あれ?聞いてない?」 「はい。ケントクの課長には班長から話し通しておくってだけで…。」 「あらそう。ワシはケントクの課長から直々に言われたけどな。」 「なにを?」 「相馬捜査官と極秘裏に捜査を進めよってな。」 「118番の番号札をお持ちの方、診察室へお入りください。」 呼び出された患者がゆっくりと立ち上がった。 それ誘導するように患者に付き従う一人の看護師がいる。 「とにかく光定に近い奴をこっち側に引っ張り込む。それが一番手っ取り早い。」 「って言っても、自分には光定周辺の情報がありません。」 「それはこっちで準備した。…

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第37話

3-37.mp3 「昨日午後9時頃、新宿駅近くの混み合う路上で男が突然刃物をもって、無差別に通りの人たちに切りかかりました。警察の発表によるとけが人は6名。内3名が重症ですが、幸い3名とも命に別状はない状態のようです。当時の事件現場は通行人でごった返す場所でしたが、偶然別件で警戒にあたっていた警察官がその場に居合わせたため、速やかに容疑者の逮捕となりました。現在容疑者の男は警察で取調べ中ですが、男は逮捕直後から日本をぶっ壊せなどと意味不明なことを呟いており、警察では精神鑑定を含む慎重な捜査を行っていく予定です。」 「ぶっ壊せ…ぶっ殺せ…。」 不意に椎名の口から言葉が出てしまった。 「この車の中だけさ。気が許せる場所は…。」 スマートフォンの上部に目をやると時刻は7時10分だった。 「はぁ…あと40分で会社。ほんとこの8時間って拘束はなんとかなんねぇかな。1日24時間。内3分の1は労働。6時間は睡眠。残り10時間だ。通勤で往復2時間。すると8時間。8時間しか自由になる時間ねぇのかよ…。あいかわらず(゚⊿゚)ツマンネシステムさ。」 車は信号で止まった。 「どいつもこいつも死んだ魚みたいな目ぇして運転してやがる。憂鬱なんだろうな。いや、退屈なだけかもしれない。日常が退屈すぎて、憂鬱な気持ちになってんのかも。」 ポツポツと雨がフロントガラスに落ちてきた。 「憂鬱な月曜、それに拍車をかける雨。ご心配なく。その気分吹っ飛ばせてやるよ。きっと生きている…

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第36話

3-36.mp3 月曜早朝。 報道フロアにはデスクに突っ伏して仮眠を取るスタッフたちの姿があった。 週末に起こった東京の東倉病院での化学テロ、池袋での車両暴走、都内繁華街での無差別傷害事件、ウ・ダバによるものと思われる池袋事件の犯行声明。どれもが社会的に大きな影響を与える事件であるため、東京の話題でありながらも石川のネットメディアであるちゃんねるフリーダムも特番を組んでそれを伝えた。 自由かつ明敏な分析の上に、過激な発言も厭わない論客が、当意即妙の発言を展開する。 これがちゃんフリの魅力でもある。 魅力的な発言をする論客は得てして個性的であり、その手綱さばきには相応の負担を強いられる。 時として単なるワガママとしてしか受け止められない無理な要求を番組に求めてくることもある。 彼らはその対応翻弄されながらも、立て続けに舞い込んでくる重大ニュースの交通整理に心血を注いで当たった。 ニュースの波がひとまず収まったちゃんフリの報道フロアは、戦場におとずれた束の間の休息といった空気が漂っていた。 コーヒーを啜る音 「あ、デスク。おはようございます。」 「あーおはよ。」 三波がフロア内に静かに入ってきた。 「随分早いじゃん。キャップ。」 「まぁ、一応現場が気になって。」 「…見ての通りさ、みんな死んだように寝てる。」 「帰る気力もないって感じですか。」 「そうだね。」 「デスクもですか。」 「まぁね。」 「まさか完徹…。」 「流石にそんな…

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第35話

3-35.mp3 「ムツ番から指揮所。」 「はい指揮所。」 「取り押さえた男が妙なことを口走っています。」 「指揮所からムツ番。妙なこととは具体的にどういうことか どうぞ。」 「えーファッキンジャップをぶっ壊せ ぶっ潰せ ぶっ殺せと言っています。」  33 「ふぅ…。」 咥えていたタバコを備え付けの灰皿に押し付けて、その火を消した。 「誰のものかわからないこちらを見つめる両目の映像。画面の天地にfuckin jap destroy jap。金沢の犀川河川敷のテロデマ騒ぎの映像の内容を思い起こさせるね。これ。」 百目鬼は大型スーパーの立体駐車場に止めた車の中で、アイドリングをしたままイヤホンから流れてくる音声を聞いていた。 「いまさらあのテロデマ映像の影響で犯行が…?いや…そんな馬鹿なことがあるもんか…。」 金沢犀川のテロデマ事件が発生して、ずいぶんと日が経っている。もうすでにあの事件自体、過去のこととなりつつあるのに、いまさらあのサブリミナル映像の影響が出たとは考えにくい。 「あり得ん。」 「可能性は限りなく排除する。業務の一環です。」20 「可能性は限りなく排除…。」 そうつぶやいた彼は目を瞑った。 「もしも…もしもだ。あのサブリミナル映像が、いまの刃物振り回し野郎を作り出したとしたら、あの映像を、あの金沢の映像を何度も何度も見て、メッセージを刷り込まれ、犯行に及んだ…。」 「…あり得ん。あれはそんなに惹きつけられ…

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第34話

3-34.mp3 「どうしたんだよ。こんな遅くに。しかも週末だぜ。」 カウンターの隣に男の気配を感じて安井はそれとなく話した。 「こっちはこっちで大変さ。東倉病院のやつとか池袋のやつとか…。もうシッチャカメッチャカだわ。」 「それ全部あなたが抱え込んでるんですか。」 「下に振ってるけど、結局最後は俺の方で確認しないといけない。」 「確認ね…。」 「安井さんは本業の方頑張ってください。」 「うん?」 「忙しくなりますよ。」 「え?なに?…もうすでに忙しいんだけど。」 「金にならない忙しさ。」  15 「ったく…本当に金にならねぇよ。あいつが言ったとおりだ。」 「まぁまぁ…その分こっちはあなたに支払ってますよ。」 隣の男はカウンターテーブルにカードを置いた。 安井はそれをさり気なくポケットにしまった。 「10万チャージしてあります。好きに使ってください。」 「助かるよ。大川さん。」 「金があれば人生の大半の問題は解決できます。」 「あぁ…。」 「でも問題の大半ですから。」 「…。」 「本当に金で解決しない問題もありますからね。」 「…わかってる。」 続いて大川は小さな封筒をテーブルに置いた。 「これは?」 「次はこいつを流し込んでください。」 「待てよ。この間から椎名からもらったデータ挟み込んでるが。」 「あれはあれ。」 「…どうすんだ。あんたら。」 「それは聞かないことになってるでしょ。」 「れ…

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第33話

3-33.mp3 都内某所。 ある喫茶店の中をハンティングスコープで覗き込む者がいた。 「しっかしヤドルチェンコの奴、ひとりでこんな夜に誰に会うでもなく、携帯使って何やってるんでしょうかね。」 「しかも喫茶店。わかんねぇわ。俺だったら家で引きこもってるか、せめて居酒屋だけどな。」 「あ、動いた。…会計している。…ん?…あれ?何か渡した?」 「なに?」 「現金を払うときに店員になにか渡したように見えました。」 「店員の動き追ってくれ。」 「はい。」 「指揮所からフタ番。」 「こちらフタ番。」 「対象が店から出たら入れ違いで入店し、店員の持ち物を改めてくれ。対象からなにか小さなものを手渡された可能性がある。」 「了解。」 「店から出ます。」 背広姿の男二人が店から出てきた白人男性とすれ違うように入店した。 ドアがカランカランと鳴る 「いらっしゃいませ。」 「警察です。」 対応の店員の目の前に警察手帳が見せられる。 「公安特課です。あなたの持ち物を改めさせてもらいます。」 「え?公安特課?」 「お店に迷惑はかけません。すぐに終わります。」 「いま、ここでですか?」 「はい。ポケットの中見せてもらいますか。」 「…。」 「もしもあなたが我々の依頼を拒否されるようでしたら、お店の責任者の方に事情を説明して、ご協力を仰ぎます。」 「ま、待って…。」 店員はポケットからUSBメモリを取り出してみせた。 「それだけですか…

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第32話

3-32.mp3 「え?記憶が戻ってきている?」 「うん断片的に。」 「どの程度戻ってるの。」 「駅のコインロッカーとか、病院の売店とか、病室に届けたとかは思い出してる。」 「核心部分は思い出せていないってわけだね。」 「うん。」 「ちょっと待って。すぐに戻る。」 こう書いてクイーンと名乗る人物はチャットルームから退出した。 「ふぅ。」 ネットカフェの一室に空閑は居た。 1畳程度のスペースに安物の机と椅子が置かれ、そこにハイスペックのパソコンが設置されている。 調度品とパソコンのスペックのアンバランスさがなんとも言えない空間だが、実用性を追求すればこれもひとつの正解だろう。 紙コップに入った温かいコーヒーを口に含んで、空閑はブラウザのタブ機能を使って最新のニュースをチェックした。 トップは「高齢者運転車両事故はウ・ダバの犯行か?」との見出しだった。 「ウ・ダバとツヴァイスタンは密接な関係がある。東倉病院の事件と池袋の事件は同時多発テロの可能性もある…。」 空閑の口角が上がった。 ーふっ…。よくそんな憶測で記事になんかできるな。この国の人間はいつからこんなに阿呆になったんだ。 ニュース一覧の画面に戻り、彼はその他のニュースを流し読みした。 ーあ…。 ある記事を前に彼はその手を止めた。  空閑はチャット画面に戻った。 クイーンからの書き込みがあった。 「ひょっとしたら術の耐性ができてきたのかもしれない…

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第31話

3-31.mp3 金沢市郊外のとあるスーパーマーケット。 惣菜コーナーでは割引のシールが貼られ出し、どこからともなく客が吸い寄せられていた。 ーお、こいつはいい。 嬉々とした表情で3割引きのシールが貼られた握り寿司の詰め合わせに手を伸ばした。 しかしそれはタッチの差で30前後の金髪頭の女性にかすめ取られた。 ーたまの贅沢やと思ったんやけどなぁ…。 軽く息をついて彼は周囲を見回す。 ー揚げもんばっか…。見とるだけで胃がムカムカしてくる。 彼の目に「焼き鮭弁当」の文字が飛び込んできた。 ーまたこれか…。 店を出て車に乗り込むと、彼はタブレットのスリープを解除した。 画面には立憲自由クラブに関する話題のタイムラインが表示されている。 リアルタイムにSNSでの発言がそこに流れていた。 彼はそのタブレットを車載ホルダーに装着し、そのまま車を発進させた。 「いい加減ガキみたいなことやめろよ…クソ国家が…。」 「絶対に許さねぇ…。」 ホルダーに固定されているタブレットには、ツヴァイスタン排撃のコメントが充満していた。 「あれ…結構ボルテージ上がっとるがいや。」 ひとたび火がつけば、その拡散のスピードたるや想像を絶するものだが、反面冷めやすいのがSNSの特徴。 東倉病院の事件については犯行声明がまだ出されていない。 ネット上ではツヴァイスタンの犯行だとの意見が大半を占めているが、それは憶測の域を脱しない。 治安当局は捜…

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第30話

3-30.mp3 「ウ・ダバが声明…。」 「はい。この間の池袋で信号待ちの群衆に高齢者が運転する車が突っ込んだ件で声明を出しました。」 「具体的な内容は。」 「勇気ある行動があった。彼は日本という国家の至らぬところを憂い行動した。今後も続くだろう。我々は行動するだけだ。彼の勇気を讃えよう同志よ。」 「…抽象的だな。」 「はい。」 「またあれか。合成映像みたいなやつでか。」 「はい。」 「東倉病院のやつはまだ出てないのか、犯行声明。」 「ええ、そうなんです。」 「…わかった。下がってくれ。」 「はい。」 空席になっている公安特課課長の席を見つめて、百目鬼は腕を組んだ。 ーどうして東倉病院のやつには触れない…。 ー実験から行動に移すといえばむしろこの化学テロだろうに、どうしてウ・ダバはこの件には言及しない…。 ー以前起こった北陸新幹線内の人糞散布は化学テロの予行演習だ…。それを実際実行に移したのが今回の東倉病院の事件だろうが…。 電話が鳴り、それを取る 「はい。百目鬼です。」 「また起こったぞ。」 「はい…。」 「今度は交差点に来るまで突っ込んで無差別殺人。どうなってるんだマルトクは。」 「申し訳ございません。」 「国民から予算泥棒だと非難の声が上がっている。」 「承知しております。」 「それにマルトクトップがいまだ拘束中と来たもんだ。」 「はい。」 「百目鬼。お前、松永の代わりに課長をやらないか。」 「は?」 「課長補佐か…

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第29話

3-29.mp3 カウンター席に置かれたメニューを開くと、この店のイチオシは自家製麺のつけ麺のようだった。 椎名はそれを指さしてオーダーした。 「大中小のサイズ選べますが。」 「え?」 「サイズの指定がなければ中になります。ちなみに中は二玉です。」 「え、そんなに。」 「どのサイズも同じ値段なんで、皆さん普通は大を選びます。」 「大ってどんだけあるんですか。」 「三玉です。」 ふと先客の様子を見るとこんもりと盛られたつけ麺を一心不乱に食べているではないか。あれが大サイズのつけ麺か。 はたして自分にあれと同じものが食べられるだろうか。 「どうされます?」 「じゃあ…大で。」 「大ですね。ありがとうございます。」 店員はつけ麺大を厨房に叫んだ。 ー普通は三玉って…どんだけ食えばこいつら気が済むんだよ…。 「すいません。」 横に座ってきた男がメニューも見ずに店員を呼んだ。 「つけ麺大で。」 「つけ麺大ですね。」 「はい。」 備え付けのグラスに水を注ぎ、彼は携帯を触りだした。 「ここ良く来るのか。」 「まあな。」 「三玉デフォってどういうことだよ。」 「こういうもんなんだよつけ麺って。」 「考えられない。」 「って言っておきながら、大頼んだんだろ。」 「…。」 「まぁこいつは食事っていうかドラッグみたいなもんだ。」 「ドラッグ…。」 「よく噛んで食べるとか忘れて、ひたすらのどごしを楽しむ。それがつけ…

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第28話

3-28.mp3 週末になると金沢の市街地は急に人口密度が高くなる。 それも北陸新幹線の開通が劇的な観光客の増加をもたらしたためだ。 史跡名勝、文化施設には見たこともないほどの人たちが集う。 金沢の中心部にある現代美術館もそのひとつ。 開館当初からこの施設の客の入りは多かった。しかし新幹線開業を受けてその数はさらに多くなった。 週末となれば入場のために列を作るのはあたりまえだ。 椎名はこの観光客であふれかえる場所にある、ウサギの耳のような形をした椅子に腰を掛けていた。 「金沢に来る?」 「うん。」 「急にどうしたんだよ。」 「疲れてしまったんだ…。」 「あれかい…。」 「わかんない。なんだか頭痛がひどくってさ。ときどき割れるみたいに痛むんだ。」 「やっぱりじゃん。バイトの掛け持ちが祟ったんじゃないの。」 「そうかもしれない。」 「でも、こっちに来てどうすんのさ。」 「別にどうもしないさ。親父の実家のあたり見てみたくなっただけ。」 「え、おまえの親父って金沢の生まれだったの?」 「あれお前には言ってなかったっけ。」 「うん初耳。」 「一応親戚も金沢にいるんだけど、ほら俺フリーターじゃん。そんな身分でぶらっとそこ尋ねていくのも、ちょっと厳しいだろ。」 「あ…うん。」 「だからちょっとお前に頼ってみようかなってさ。」 ーまずいな…。都内の実働員がひとり欠ける…。 「なぁだめか。」 「…あ、いや、別に。」 「そっか。助かる。」 …

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第27話

3-27.mp3 「実験ですか…。」 「おう。」 「まぁ確かにそんなこと言ってますが、文脈から言って何ら不審な点はありませんけど…。それに実験って言葉はどこでも使用されますよ。」 「うん。」 「自分は曽我に対してはむしろ医師にしては珍しく正直で謙虚だって印象です。古田さんはちょっとその実験ってワードに神経質になっとるんじゃないですか。」 古田はタバコを咥えた。 「そうなんかもしれん。けどな。」 「けど?」 「そのどっか引っかかるっちゅう、妙な感覚がワシを動かせ、ひょんなもんにぶち当たることがある。」 「え…。」 「相馬。おまえ曽我のこと正直で謙虚っちゅうたな。」 「はい。」 「謙虚でもなんでもない。」 「はぁ。」 「曽我はなんにもわかっとらんがや。」 「何もわかっていない?」 「ああ。」 古田は1枚の写真を相馬に見せる。 「誰ですかこれ。」 「光定公信。」 「光定公信?」 「いま現在の山県の主治医。つい最近、山県の主治医が曽我からこの男に変わった。」 「この男がなにか。」 「結論から言うといままでの山県の対応は曽我ではなくこの光定が実質的にやっとったっちゅうことや。」 「え?」 「これ。」 そう言うと古田はさらに一枚の写真を見せた。 「これは?」 「天宮石川大学医学部名誉教授。曽我の上司であり光定の恩師。」 「この老人がどういった…。」 「天宮憲之(のりゆき)。東京第一大学出身の神経内科の専門。助教としてあの…

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第26話

3-26.mp3 2015年。 鍋島事件から約1年がたったGW。 病院敷地内の人の姿はまばらだ。 石川大学病院の職員通用口から男が出てきた。 身長は170センチ程度。年齢は50代なかば程度と思われる銀縁ネガネをかけた男だ。 眉間にシワを寄せどこか神経質そうな表情の彼は携帯電話を触りながら駐車場へ進む。 リモコンで車のロックを解錠すると、近くの外国車のハザードランプが明滅した。 車の横に立った彼は手にしていたリュックを後部座席に投げ入れ、運転席に乗り込んだ。 ドアをノックする音 運転席を覗き込むように立っている老人がそこに居たため、彼はぎょっとした。 「あぁ…驚かしてしまってすんません。」 パワーウィンドウが開く 「何なんですか。あんた。」 「お忙しいところすいません。わたくしこういうもんでして。」 老人は警察手帳を彼に見せた。 「曽我遼平さんですね。わたくし県警本部の藤木と申します。ちょっとお話を伺いたいのですが。」 「いまですか?」 「はい。」 「…忙しいんですよ私。」 「いまからご帰宅なのに?」 「え?」 「え、だってGWの真っ只中ですよ今は。普通病院はお休み。ほんなんに曽我さん。あなたは出勤や。なんかわからんけど仕事が溜まっとってんろう。あなたはそれをようやく片付けた。だからここを出れる。そうでしょ。」 「まぁ…。」 「やっと羽を伸ばせる。これから4連休。ゆっくり休んでください。そんなお楽しみの前、最後の最後でち…

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第25話

3-25.mp3 「班長。いまどちらですか。」 「ちょっと頭ん中整理すっために外に居る。」 「お戻りは。」 「やわら戻る。何かあったか。」 「石川から報告です。」 「何や。」 「椎名のところの監視カメラと盗聴マイクをアップデートして早速変化が見られたと。」 「おう。」 「立憲自由クラブの「安全保障予算を実効性のあるものに」ってスレッドを読んでこう言ったそうです。」 「立憲自由クラブ?…ちょっと待て。」 携帯を取り出した彼はそこに該当のウエブサイトを表示させた。 「うわ…字だらけや…。ちょ俺いま無理やわこれ読むの。」 「記事自体は別に何でもありません。ざっくりいうと今回のテロ事件にツヴァイスタンが関わっていて、防げなかったマルトクは無能。それに反して自衛隊は素晴らしい的な。」 「はぁ…右からも叩かれとるんか…。俺ら。」 「まぁ…。」 「で、椎名はなんて。」 「ふざけんな。いい加減ガキみたいなことやめろ。クソ国家。です。」 「…あ?文脈がよくわからん。」 「今回の犯行にツヴァイスタンが何らかの形で関わっているのではとの論調に、彼のあの国に対する積年の恨みを吐露したと言ったところでしょうか。」 「あぁそういうことか…。」 「あれ、班長あんまりですか?」 「え?」 「え、だって珍しいじゃないですか椎名がツヴァイスタンに反応するの。しかもこんなに露骨に。」 「そうやな。」 「ヤツなりになにかの感情が揺さぶられている証拠です。」 「紀伊。」 「…

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第24話

3-24.mp3 「予約した椎名です。」 こう言って椎名はボストークの店主である髭面の男にメモ用紙の切れ端を手渡した。 「急げ。」 店主は黙ってうなずき、それをポケットの中にしまった。 「お連れ様は先に奥の席にいます。」 「もう?」 「はい。10分ほど前に。」 店の奥を見るとショートカットの女性がうつむき加減で座っていた。 「寝てます。」 「寝てる?」 「ええ。ほら。」 座ったまま体を時折前後する船を漕ぐ状態である。 「片倉さん。片倉さん。」 近づいて名前を呼ぶも返事がない。 「困ったな…。」 相手が男なら肩をさすったり、叩いてみたりして物理的接触で起こすことはできるだろう。 しかし目の前の人間は女性だ。しかもこの間仕事で初めて会った程度の付き合いの女性。触れて起こそうものなら、下手をするとセクハラ事案に発展しかねない。 ふと椎名は足元に目をやった。 彼女はスニーカーを履いていた。 ーちょいとゴメンよ。 椎名は彼女のつま先を強めに蹴った。 「うあ?」 「片倉さん。」 頭を上げた彼女は寝ぼけなまこだった。 「椎名です。」 「あ?」 店の照明の影響か彼女の頬はなにやら光っている。 椎名は目を細めてその部位を凝視した。 「片倉さん…よだれ…。」 「へ?」 「よだれ垂れてます…。」 「え?」 素手で自分の頬を拭うと何かを悟ったのか、彼女は顔を赤らめた。 そ…

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第23話

3-23.mp3 土曜あさ。 ベッドから身を起こした椎名はいつものようにシャワーを浴びていた。 ー今日は京子と接触。 ーナイトのフォローもしないと…。 ーそれにしてもどうしたもんか…。公安のやつ俺の部屋になにをした…。 ー迂闊に動けないぞ…。 ールーク。早くしろ…。 シャワーを終えて体を拭き、彼は携帯を手にした。 画面には1件のメッセージ表示があった。 壁を背にした相馬はそれを開いた。 「けゆれへえうそておくか めおさへとおせおくぬよぬをわ みらでへかごさね」 ー暗号…。 冷蔵庫の中を一旦確認する動きをして、彼はそのままジャージ姿で部屋を出た。 時刻は午前6時。 4月早朝の空気は体を引き締める。 彼は身をかがめながら歩みを進める。 徒歩で5分のところにコンビニエンスストアがある。 その中のトイレに入ると椎名は携帯を取り出した。 先程の暗号文に続いて写真が送られてきていた。 メモ用のような紙に数字で「3」とだけ書かれていた。 ーシーザーか…。 椎名は先程のひらがな文字を携帯のメモ帳に貼り付ける。 続いてその文字の下に五十音の3つ前の文字を考えながら打ち始めた。 けゆれへえうそておくか かめらはあんしたいおう めおさへとおせおくぬよぬをわ まいくはちいさいおともとれる みらでへかごさね へやではうごくな 「カメラは暗視対応。マイクは小さい音も録れる。部屋では動くな。」 彼は即座にそ…

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第22話

3-22.mp3 電気がつけられると畳敷きの部屋の様子が明らかになった。 「ここはワシの頭ん中。」 「頭の中…。」 「アナログやけど、ワシはパソコンとかよりもこのほうがしっくり来る。」 足の踏み場もないほど紙の資料がある。 かと言って散らかってはいるわけではない。資料が整然とうず高く積まれ、この六条間に天井に向かって何本かの柱が立っているようにも見えた。 「ここは大声ださんときゃ大丈夫。誰も聞き耳立てとらん。ここで話すことはワシとあんただけの秘密や。」 「でも…古田さん。いくら顧問捜査官っていっても捜査情報の外部持ち出しはコンプラ的にまずいですよ。」 「はっ…片倉のやつも昔おんなじこと言っとったわ。」 「いやまずいです。」 「あのなこれはワシの趣味。」 「趣味?」 「おう。ワシが個人的に興味があって調べたいろんなネタ。公文書でも何でもない。」 「でも警察という立場だからこそ知り得た情報でしょう。」 「まぁね。」 相馬は手近なところのペラ紙を手にした。 A4サイズのコピー用紙にびっしりとメモが書かれている。 目がチカチカするほどだ。 「ワシにしかどこにどんなネタが有るかわからんようになっとる。おまえさんが手にしたその紙は30年前のある背任事件に関するメモ。それだけ見てもなにがどうなっとるかわからんやろ。」 「…はい。」 「まぁその最近よく聞くコンプラとかってもんは放っておいて、本題に入ろうか。こうやって時間を過ごす間にまたなんかやばい…

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第21話

3-21.mp3 県庁19階。 ここは四方をガラス窓で囲われた展望室となっている。 夜の帳が下りたこの時間に金沢港を望むと、普段は暗闇しかないそこに煌々と輝くものがあった。 巨大なクルーズ船である。 「まるで一夜城。」 隣に座った男がつぶやいた。 「始めて見ました。こんなに大きいんですね。」 「何の建造物もない金沢港に突如として横に長い高層ビルのような建物が出現する。ぎょっとしますわ。」 金沢港から金沢市中心地には車で10分程度。 能登方面に行くためののと里山海道乗り口、富山、福井方面へ向かう北陸自動車道にも10分程度。 このような北陸の陸路のハブ的な立地をウリに、近年石川県は金沢港へのクルーズ船の誘致に力を入れている。 男は缶コーヒーを差し出した。 「班長から聞いとりますよ。無糖がお好みやって。」 「そんな微妙な情報を…。」 「信頼関係を築くには大事な情報ですよ。」 「まぁ…。」 相馬は謝意を示してそれを受け取った。 缶を開ける音 「ケントクにぶらり来られると、その時点であんたがマルトク関係者やって他の連中にばれるから場所はここにさせてもらいました。」 「そうですね。」 「身内の人間さえも疑ってかからなならんのがこの商売。ウチの課長の配慮です。」 「お心遣い感謝します。」 コーヒーを飲む音 「あれから6年。まさかあんたとこうやって今再び会うことになるとはね…。」 「その節はありがとうございました。」…

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第20話

3-20.mp3 相馬周は金沢駅近くのビジネスホテルにいた。 自分が帰郷していることは両親には告げていない。 両親にはやりたい仕事にめぐりあうまで、しばらくバイトを掛け持ちすると告げてある。 思う仕事に就くまで実家には帰らないとも言っている。 これらの事情は京子も知っている。 「そうですか…。」 「あぁ。ここでお前がこっちの方にとんぼ返りしても、やることなんかない。当初の予定通りヤドルチェンコの令状待ちや。ほやから当初の予定通りお前はそっちで過ごせ。」 「でも…。」 「相馬。過ごすんや。予定通りに。」 「過ごす?」 「わりぃけど休暇ってのは無しや。」 「…。」 「これからケントクと合流してくれ。」 「ケントク…ですか。」 「おう。あそこの課長には俺から話通しておく。」 「わかりました。」 片倉との電話を切った相馬は携帯のメッセージを確認した。 2時間前に「ごめんなさい 今日は無理になっちゃった 本当にごめん」 というメッセージがあってから何の連絡もない。 ーバタバタしとれんろうな…。 そう言うと相馬は「おやすみ無理しないで また明日」とだけ送った。 ベッドに横たわる音 急に睡魔が彼を襲ってきた。 このまま10分だけ仮眠をとろう、県警と合流するのはそれからだ。 相馬は目を瞑った。 金沢駅近くのビジネスホテルにチェックインした鍋島はシャワーを浴びていた。 備え付けのボディソープを手で泡立て、彼は全身にそれを塗りたぐっ…

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第19話

3-19.mp3 駐車場に止めた車の中でテレビを見る者がいた。 彼が手にする携帯にはある掲示板のオカルトスレッドが表示されている。 そこでは東倉病院のテロに関して ユダヤの陰謀、イルミナティの仕業、預言者のとおりだ などの話題が噴出していた。 ー想像力たくましいのは結構ですけど。エビデンス抑えましょうよ。ね。 彼は別のスレッドを表示させた。 それが立てられたのは今日の朝。 激ウマコーヒーが飲める店を晒せというスレッドである。 店名とその所在地、そこで提供されるコーヒーの特徴が端的に書き込まれている。 彼はスレッドをスクロールさせ、39番の位置でそれを止めた。 東倉珈琲店 東京中央駅西口 コインロッカー側 多くの人を魅了する芳醇な香りが特徴 ひとたびそれを口に含むと天国への階段をのぼるような高揚感すら感じる味 ー抽象的すぎてたどり着けないだろうけど…。 携帯の上部に通知が入った。 「どうですか。はじめての直接的な接触は。」 鼻をすすった彼は器用な指付きでフリック操作をする。 「やはりライブは違いますね。」 「何か新しい発見はありましたか?」 「興奮が抑えきれなくて、冷静に観察できていません。来月の診察時にテストをしてみようと思います。」 「そうですか…。」 「どうしました?」 「いや…仕事が早い光定先生のことだから、早速成果を挙げたんじゃないかって勝手に思ってました。」 「…すいません。ちょっと舞い上がってし…

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第18話 後半

3-18-2.mp3 テレビをつけると東京で起こったテロ事件に関する報道番組が流れている。 リモコンで他のチャンネルを選択するもどこの局も特別編成の番組を放送していた。 いま世の中はこの話題で持ちきりだ。 椎名はテレビをつけたままキッチン壁に背を向けて椅子に腰を掛け、携帯を触りだした。 ー誰か入った…。 彼の顔は携帯の液晶画面に向いているが、視線は部屋の真ん中の床にあった。 ー部屋の真ん中に落とした3本の髪の毛。うち1本がどこかに消えている…。 椎名は背伸びをした。 「ん〜…。」 再び彼はテレビの前に立ち画面を見るふりをして、視線だけを部屋全体に移動させた。 ー何をした…。カメラの位置を変えたか…。それとも盗聴マイクでもいじったか…。 目だけで部屋を調べたところ不審な点はない。 「えー新しい情報が入りました。警察によりますと今回テロに使用されたのはノビチョクといわれる神経剤のようです。繰り返します。今回東倉病院において発生したテロ事件で使用されたのはノビチョクであるとのことです。ノビチョクは旧ソ連が開発したとされる神経剤の一種で、その毒性は…VXガスの5倍から8倍はある…とのことです。あの…垂石(たるいし)さん…ノビチョクって…。」 報道番組の司会者がコメンテーターに振る。 「…ええ。英国でその神経剤が使用された暗殺事件があったのは記憶にあたらしいところです…。」 「あのときは確か事件の背景にツヴァイスタンがとか……

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第18話 前半

3-18-1.mp3 「大丈夫です。心配ありません。この調子なら雄大くんは石大ぐらいの国立は楽勝ですよ。」 「そうですか…先生がそう言われるなら...安心しました。」 「お父様は心配症ですね。」 「…よく言われます。」 「'`,、('∀`) '`,、 」 ここ空閑教室では我が子の入試対策の進捗ぶりを確認するために、保護者が講師である空閑と面談する機会が定期的に設けられている。今日も夜の9時という遅い時間にもかかわらず、保護者面談が行われていた。 「ところで雄大くんはお家ではどんな感じなんですか?」 「家では自分の部屋にこもっていて、基本的にそこから出てくることはありません。」 「…お父様との会話は?」 「学校関係とかここのとかの報告、連絡はしてくれます。ですが日常的な他愛もない話とかはほとんどすることはありません。」 「…そうですか。」 「雄大には学業に専念してもらうために、家事は私が全部やっています。あの子は学校とこの塾で勉強だけやればいい。そういう環境を整えているつもりです。ですが…やはり時々心を閉ざす傾向があるようです。」 「…。確かにお父様は頑張ってらっしゃる。奥様と離縁されてからも男でひとつで雄大くんをここまでにしたんだ。頭が下がります。」 「あぁありがとうございます。」 「正直な感想ですよ。」 「しかし…親の苦労子知らずですかね。」 「いけません。」 「ん?」 「いけませんよ。お父様。そんなことは思っていても口に出しちゃいけません。」 …

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第17話

3-17.mp3 ドアを閉める音。 洗面所に走ってそこで手を洗い、うがいを激しく行う。 「はぁはぁ…はぁ…」 息を切らす。しばらくしてそれは収まりつつあった。 ーあれ?なんで俺、ここで手ぇ洗ってんだ…。 携帯電話を取り出してそれを見る。 時刻は16時半だ。 「…えっと…俺、何やってたんだっけ…。」 携帯のメッセージ履歴を確認するも今日の昼から今に至るまで、自分以外の誰とも連絡をとった形跡がない。 そこで彼は通話履歴を見た。 どうやら今日の朝に電話をしたようだ。 「キング…。」 そう言うと彼は頭を抱えた。 「確か…朝早くにキングと電話した。けど俺…あいつと何話してたっけ…。」 激しい頭痛が彼を襲ったため、手にしていた携帯を床に落としてしまった。 回想 携帯が震える 再びそれを手にした彼の動きは止まった。 「紗季…。」 「慶太どうしたの?大丈夫?」 扉越しに心配そうな声で彼の名を呼ぶ声が聞こえた。母である。 「え、いや…なんでもないよ。」 彼はとっさに携帯をポケットにしまった。 「なんでもないって…何か落ちた音したわよ。」 「そ…そう?」 「それに帰ってきたと思ったらドカドカって乱暴に洗面所に駆け込んで。」 「あ…そうなの?」 「そうなの?って本当に大丈夫。」 「あ…う、うん。大丈夫だよ。心配しないで。」 「心配するわよ。紗季の名前つぶやいてるし…。」 「紗季の名前…

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第16話

3-16-1.mp3 「おい。あの空飛び回っとるハエどうにかせいま。」 「はい。」 片倉は化学防護隊の出動と同時に自らも現場にいた。 「片倉班長。」 背広姿の男が片倉に声をかけた。 「これは百目鬼(どうめき)理事官。わざわざ現場までご足労おつかれさまです。」 「どういうこと?これ。」 「見てのとおりです。」 「見ての通りって…他人事みたいに言うね。」 「申し訳ございません。そんなつもりはなかったんですが。」 ヘリコプターの音 「理事官。あの上でうるさいあいつ、なんとかできませんかね。」 「いまやってる。」 「さすが。」 百目鬼は片倉に自分の車に乗るよう合図した。 ドアを閉める音 「松永課長は警視庁だわ。」 「重要参考人ってわけですか。」 「うん。」 百目鬼はタバコを咥えてそれに火をつけた。 「自分もいいですか。」 「うん。どうぞ」 「失礼します。」 煙草を吸う音 "警視庁から各局、本日15時25分ごろ1方面管内、東倉病院において化学物質を使用した ゲリラ事件が発生した。本件につき15時57分、6キロ圏配備を発令中である。 全警戒員は速やかに立ち上がり、G配備(ゲリラ配備)に定められた所定の警戒を実施されたい。 ただし、実施署は23区内とする。動員体制は全署甲号(キロ圏配備の動員数は各署動員可能な最大限の人員を意味)とする。 各署リモコン担当者(無線担当者)は G配備に定められた警戒方法…

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第15話 後半

3-15-2.mp3 帰国当初は日本語をほとんど話すことができず、卓は碌な仕事につくことができなかった。 これではとても生活していけない。そこで卓は裏稼業に手を出した。マフィアの小間使いをしてその日暮らしの金をなんとか手に入れた。 地べたを這いつくばる生活をする中、彼は尚美と出会う。恋に落ちた二人は駆け落ちした。 流れ流れてここ石川県にたどり着いたころ、尚美の妊娠が発覚。 周が生まれた。 この子だけは残留孤児という生まれながらの不遇を理由に、自分と同じ目に合わすことはできない。 そう考えた卓はこの地でゼロからのスタートを尚美とともに切った。 だが事はうまく運ばなかった。 残留孤児二世ということで世間の同情を買うことはできたが、それと仕事につくことは別。 彼を積極的に雇い入れるほど、世間は寛容ではなかった。 結果、ここでも卓は仕事に恵まれなかった。 朝晩、アルバイトを掛け持ちし寝る間を惜しんで働いた。 尚美もパートと自宅でできる内職仕事をこなすことで、相馬家の生計はなんとか成り立っていた。 周が10歳の頃、一家の大黒柱である卓が倒れた。 無理が祟ったのだ。 とたんに相馬家は資金繰りに窮する。 経済的救済を求めて尚美は駆けずり回った。 ありとあらゆるツテを頼ったが、それは徒労に終わった。 万策尽きすべてを諦めかけた、そのときのこと。 相馬の窮状を聞きつけてある男が家を訪ねてきた。 本多喜幸の元で書生生活を送っていた28歳の村上隆二である。 残留孤児問…

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第15話 前半

3-15-1-1.mp3 内線電話の音 「はい。あぁそう。通して。そのまま部屋に入ってきてって言って。」 電話を切る音 ノック音 ドアが開く 「お久しぶりです安井さん。」 「久しぶりだね椎名くん。」 編集機材の数々が並ぶこの部屋の様子を椎名はまじまじと見た。 「あ、はじめて?こういうの。」 「ええ。」 「あ、そう。いろんな機材あるけど、君がやってることと基本的に一緒だよ。ここでやってることは。」 「いえ、自分は専門的な勉強をしてないので、いわゆるその波形の味方とか知らないし、音響の関係については本当に素人です。」 「いいんだよそれで。見るに耐えるクオリティのものさえできればそれで良いんだ。」 「そうですか?」 「変に凝りすぎても、その凝ったところが視聴者に伝わらないとただの自己満足だからね。」 「そうともいいますね。」 「まぁかけて。」 安いは自分の隣のオフィスチェアに座るよう促した。 「俺は君にこの編集機材を使わせてくれって言われてる。」 「僕には専門的すぎて使えません。」 「え…。」 椎名は安井に向かって微笑んだ。 「じゃあ…。」 「これ。」 おもむろに椎名は一枚の牛丼チェーン店の食券の切れ端をとりだして、それを安井に手渡した。 「なに…これ。」 「食券です。390円の。」 「…見りゃわかるさ。」 「こいつを大川さんに渡してください。」 「大川さんに?」 「はい。」 食券を…

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第14話

3-14.mp3 都内某病院。 病棟ナースセンターにひとりの男が姿を表した。 手元の用紙に面会先と自分の名前を記入した彼は、近くの看護師にそれを渡した。 ノック音 部屋から何の音も聞こえない。 彼はそっと扉を開いた。 医療機器の音 カーテンを開けると ベッドの上でパソコンの画面を覗く患者がそこにいた。 「最上さん。」 ちらりと訪問者の方をみた彼はそのまま画面を見る。 「あぁ君か。」 「どうですか。」 「良くないね。」 「そうですか…。」 「非常に良くない。」 「そんなに…ですか…。」 「ああ。」 「先生はなんと…。」 「え?」 「え?」 「あ…。」 「あ…。」 最上はくすりと笑った。 「すまないね。心配懸けてしまって。体の方は別になんともない。」 「あぁ…そうですか。よかった。」 「ただ喉が渇くんだよ。最近。」 ベッドテーブルには500ミリリットルのミネラルウォーターが置いてあった。 「喉ですか…。」 「まぁ入院するくらいだから、どこかぶっ壊れてるさ。」 「ふっ…。」 「僕が良くないって言ったのはこっちのほうだ。」 そう言うと最上は手招きをした。 そばに寄った彼は最上が指すパソコンの画面を覗き込んだ。 「これは…。」 「例のSNSコミニュティ。」 「立憲自由クラブですか。」 「ここの論調が過激化してるね。」 「先日の国会前でも動員に相当の影響力を行使したと報告を受けています。」 「ここが呼びかけするだけで全国各地か…

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第13話

3-13.mp3 「お疲れ様でーす。」 昼、外から帰ってきた京子は担いでいたバッグパックを雑に床において、椅子に座った。 パソコンのスリープモードを解除したときのことである。 京子はちゃんフリ報道部の様子がいつもと違うことに気がついた。 「あれ?」 平日午前のフロア内にはキャップである三波ひとりを除いて誰もいなかった。 「キャップ。」 「うん?」 「どうしたんですか。みんな出払っとるみたいですけど。」 「あぁたまたまじゃないの?」 彼女は社内行事や各社員のスケジュールを一元管理するツール「プロツェス」にアクセスした。 今日は特別な行事や会議もない。 「片倉。」 「はい。」 「噂で聞いたぜ。」 「…え?」 「なんだか自腹で外注使ってネタあげようとしてるらしいじゃん。」 「…三波さんには関係のない話です。」 京子はキャップである三波につっけんどんな対応をした。 「あのさ…片倉…なに警戒してんの?別に俺、お前のネタいっちょ噛みさせてくれって言ってんじゃないよ…。」 「…じゃあ何なんですか。」 「お前がデスクからどんな話聞いてるのか知らないけど…あのときの俺と今の俺は違うの。」 「…。」 「北陸新聞テレビのポジション蹴って、こんな小さな所帯に来たんだぜ。」 「はい…。」 「それに俺の働き評価されてなかったら、キャップなんてポジションもらえないだろ。」 「…まぁ。」 はっきりとしない返事をする彼女は明らかに自分を信用していない。ネタであれ本気であれ…

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第12話

3-12.mp3 充電ケーブルに繋がれた枕元のスマートフォンを軽くタッチすると時刻が表示された。 午前5時である。 椎名はそれを手にしてベッドから身を起こした。 そのまま彼は部屋の電気をつけることなく、着替えを手にして風呂場に向かった。 シャワーの音 ー新幹線のあれが何者かによる何かの実験のようなものって線はだれだって思いつくし、実際それっぽいこと言ってる奴は既にいる…。だがどれもがざっくりとした観念的なもんだ。そんなものは別に問題じゃない。 ーだがKの見立ては違う。 ー今回撒き散らされたのは人糞。その量は一度の排便によるものとは思えない量だった。これが示すのは2つの可能性。ひとつははじめから撒き散らすつもりで外部からそれを持ち込んだ可能性。もうひとつは二人以上の人間が別々の場所で排便した可能性。後者の場合、便所じゃない場所で排便をすることになる。排便には一定の時間を要する。そのため人目に触れないようにそういった行為をするのは、他人から目撃されやすくリスクが大きい。できることなら避けたいはずだ。となると前者の外部から持ち込んだ説をとるのが有力だ。 ー外部から持ち込んだとすると、これは重要な意味を持つことになる。少なくとも現在の日本の鉄道においては基本的にどんなものでもノーチェックで持ち込みが可能であるということだ。 ー正解だよ。正解。人糞ってのは臭いがする。俺らはこの臭いに対する周囲の反応を知りたかったんだ。無臭の神経剤は周囲のどれだけの人間に影響を及ぼすか、出たとこ勝負さ…

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第11話

3-11-2.mp3 自宅に帰って来た椎名は着替えてそのままベッドの上に寝転んだ。 「なんか寒いな…。」 ボソリと独り言をつぶやいて頭から羽毛布団をかぶった彼はその中で携スマートフォンを操作し始めた。 SNSアプリを立ち上げ、チャットのような画面を表示させるとテキストを打ち始めた。 「お世話になっております。第一回放送分のプレビュー版は今週末にはお見せできます。」 間もなく京子からレスポンスがあった。 「了解です。データはストレージサービスを利用するか何かで送ってもらえますか。」 「いや、ちょっと容量が大きいので、直接お渡ししたほうが確実かと思います。」 「わかりました。DVDに焼いてください。弊社はUSBでのデータ受けは禁止されていますので。」 「かしこまりました。どこでデータの受け渡しをすればよろしいですか。ご指示ください。」 「休日にわざわざ弊社までご足労をいただくのは恐縮ですので、私がご自宅まで取りに伺います。」 「家はちょっと…。」 「じゃあ近くのどこかで。」 「またBOCTOKにしましょうか。」 「いいですよ。」 日時を改めて確認し、椎名は携帯をスリープ状態にした。 そしてベッドから身を起こして部屋の電気を切り、再びそこに潜り込んだ。 布団を頭からかぶった彼は枕の下を指で探り、何かを掴んだ。 そしてスマートフォンのSIMカードを抜き取って今掴んだものを差し込み、再びそれを見る。 今度は京子とやり取りしたものとは別のSNSアプリを立ち上げ、それ…

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第10話

3-10.mp3 夜。 自宅近郊某牛丼チェーン店の駐車場に車を停めると、椎名はいつものことのように財布と携帯だけを持って店に入った。 入店前に食券を買い、扉を開くと威勢のいい声で「いらっしゃい」と来店を歓迎された。 店内のカウンター席は客・空席・客・空席と規則正しく、間隔を開けて埋まっており、椎名はこの隙間のどこかに座ることを余儀なくされた。 彼は入り口から一番奥の空席に座った。 「いらっしゃいませ。冷たい水と熱いお茶どちらにしますか。」 店員が椎名に声をかけた。 「熱いお茶で。」 そう言って食券を渡すと店員が大きな声でオーダーを厨房に伝えた。 茶を啜る音 「どうした。」 「接触完了。」 「聞いている。」 「K(カー)は察知している。」 「なんだって…。」 「特課の娘だから、さもありなん。」 「で。」 「プランB(ベェ)。」 「うん。」 「おまたせしました。豚焼肉定食です。」 椎名は定食がもられた盆を受け取った。 テーブルに備え付けられていたドレッシングをサラダにかけて、椎名はそれを頬張った。 「今後の接触にもBOCTOKを使ってくれ。」 「Да」 「あそこは信頼できる。」 「そうか。でも客が多いぞあそこは。Я вижу Но там много клиентов.」 「だから良いんだ。」 「…なるほど。Понимаю」 「木の葉を隠すなら森の中。」 こう言って椎名の隣に座っていた男は、食事を終えその場から立ち去った。 味噌汁を…

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第9話

3-9.mp3 金沢市郊外の図書館には新年度が始まったばかりの穏やかな時間が流れていた。 タートルネックのニットにジャケット姿。ジーンズを履いている足元は革のサイドゴアブーツ。 小奇麗な出で立ちの彼は自習室で何かの本を開き、ノートにペンを走らせていた。 空閑である。 「ふう~。」 本を閉じた彼は机の上を片付けて席を立った。 本を元の位置に戻して図書館を後にすると彼は携帯電話を耳に当てた。 「私だ。」 「現代建築の文学的考察に。」 「ああ。」 「…何?」 「わかった…今晩会おう。」 携帯電話を懐にしまった彼は車に乗り込んだ。 「椎名が…。」 エンジンを掛けるとダッシュボードに組み込まれた時計が15時を表示した。 ---------------------------------------- 「ふーん…。」 自宅の畳に座ってなにかの書類に目を通す古田の鼻には老眼鏡が乗っていた。 「で、なんでまたこの光定ってヤツは、こんな田舎の大学病院なんかに来たんや。」 「東一の水が合わんかったようなんです。」 「水が合わん…か。」 「ええ。まぁ結局のところ人間関係がうまく行かんかった。それが原因のようですよ。んで大学時代の恩師でもある石大の天宮(あまみや)教授を頼って、ここの大学病院に来た。」 「それが去年。」 「はい。かつての久美子の担当医である曽我は心療内科の世界では名の通った医師です。彼の研究論文は世界的にも評価され、先ごろは科学雑誌にもそ…

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第8話

3-8.mp3 ネットカフェの個室で漫画をまとめ読みしていた椎名の携帯が震えた。 いくら個室と言っても薄いパーテーションで仕切られた空間。 ひとたび携帯電話で話そうものなら、周辺の部屋から壁ドンの抗議が舞い込んできそうだ。 彼はトイレの方に移動してそれに出た。 「はい。」 「あっ。椎名賢明さんのお電話ですか。」 「はい。」 「わたくし、ネットメディアのちゃんねるフリーダム記者の片倉京子と申します。弊社カメラマンの安井の紹介でお電話いたしました。」 「ちゃん…フリですか?」 「ええ。」 「あ…はぁ…。」 「突然お電話して申し訳ございません。実は椎名さんに折り入ってお願いがあってお電話したんです。」 「え?」 「実はとある情報を今度ちゃんフリの番組内で放送しようと思ってるんですが、なにぶん弊社の制作技術者がいっぱいいっぱいで、外部に委託する必要性が出てきたんです。ついては椎名さんにご協力いただけないかと思いまして。」 「え?協力ですか?」 「はい。」 「協力って、具体的にどういった…。」 「安井からは椎名さんは映像の編集に優れた能力をお持ちだと聞かされています。」 「…。」 「え?椎名さん?どうしました?なんだか電話が遠いようですが。」 「あ。す、すいません。急なお電話でしたのでちょっと動揺してしまいました。っていうか…安井さんってちゃんフリの人だったんですか。」 「あ、ご存じなかったんですか。」 「はい。」 「あのーどうしょうか椎名さん。」 …

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第7話

3-7.mp3 圧制下のツヴァイスタンから命からがら逃げてきた自分に待ち受けていたのは、 自由とはとうてい言えないものだった。 何をするにもどこかで誰かの目が光っている。 この感覚自体はあの国にいたときとそう変わらない。 自分は本当の監視社会を身をもって知っている。 ツヴァイスタン人民共和国オフラーナ(охрана)。 彼の国の秘密警察である。 どれだけの人員がその組織に所属し、具体的にどういった任務を担っているのかは誰も知らない。 ある日突然、近所の気のいい男が彼らに連行されるところ。 なんの前触れもなくそのあたりの人間が射殺されるところ。 公衆の面前で何らかの容疑をかけられた人間がリンチされるところなど。 自分がそのオフラーナと言われる組織の活動を目の当たりにするのはこういった結果の部分だけだった。 オフラーナに隠せることなど何一つない。 なぜならツヴァイスタンには密告制度が確立されているからだ。 たとえ家族であっても反体制分子たる予兆を発見すれば、それは密告される。 なぜならその密告を怠ったことで、家族全員が処分されるなんてことはザラであるからだ。 24時間365日。一瞬も気を抜けない。 常に監視の目が光っている。 あのときと似た空気が自分を覆っている。 そう椎名は感じていた。 しかしこの国の監視はあの国のものとは決定的に違っていた。 ある日突然あらぬ疑いをかけられて、その場で逮捕。拷問の末に裁判なしの死刑なんて処分はない。 気がついたら…

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第6話

3-6.mp3 石川大学病院の会計待合にひとり佇む男がいる。 彼は会計処理完了の表示をするモニターと並んで設置されたテレビの画面を見ていた。 「人が乗っていた痕跡が確認されないことから、ハングル文字が書かれたこの船は朝鮮半島より何らかの形で流れ着いたものとして警察は捜査しています。」 朝鮮籍の船が漂着した一昨日のニュースが端的に報じられ、次のニュースに移った。 男は周囲を見回す。 自分と同じ高齢の人間が多いこの空間で、ほとんどがスマートフォンに目を落としていた。 人間は放っておいても賢くなるとよく言ったものだ。 かつてはスマートフォンのような難しい機械操作は若い世代にしか対応できないと思われた。 一定の年齢層には受け入れがたい代物だと思われた。 しかし今はどうだ。老いも若きも男も女も暇さえあれば手元で5インチ程度の液晶画面を見ている。 受付番号が表示されると彼は窓口に向かった。 「今日は3,800円です。」 彼は携帯電話を係の女性に見せた。 「電子マネーですね。どちらのお支払いですか。」 「TD(ティーディー トチカディンギ)。」 携帯電話をリーダーにかざすと決済音が鳴った。(ディンギ♪) 「お薬は院外処方となっています。どちらの薬局さんでもこの処方箋を見せればお薬処方されますので…。」 病院正面玄関を出ると春のものとは思い難い冷たい風が吹き込んできたため、彼は思わず身をすくめた。 「さみぃなぁ…。」 MA-1ブルゾンのジッパーを上げて、ニット帽を深…

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第5話

3-5.mp3 2015年8月。 鍋島事件から1年後の都内某所。 通報を受けて現場である路地裏に駆けつけた交番勤務の警官二人は、そこから天を仰ぎ見た。 「おい…何だあれ…。」 視線の先にあるマンション屋上から張り出した鉄骨の先。そこからロープのようなもので何かが吊るされている。 「おい。あの吊られてるあれ…。」 「はい…。」 「あれって…あれだよな…。」 「た、多分…。」 こう答えた警官は思わずその場で嘔吐しだした。 「何だよ…あんなの…見たことねぇぞ…。」 「どうした。何が見える。」 無線から所轄署の音声が聞こえた。 「首…。」 「え?」 「生首がマンションの屋上から吊るされてる…。」 「なに…。」 「しかも…。」 「しかも?」 「顔の形が判別できないくらいに痛めつけられている…。」 「…。」 「なに?顔がぐちゃぐちゃやって?」 片倉肇は、部下からもたらされた事件の概要を聞いて思わず声を上げてしまった。 「はい。」 「またか…。」 「ええ…またです。」 「んなら、あれか。」 「はい。ホシは出頭済み。いまは留置所です。」 「…今度は大丈夫ねんろ。」 「わかりません。念には念を入れた対応をしているそうですが…。」 電話が鳴る音 「はい。マルトク。はい。…ええ…はい。…そうですか。」 元気のない声で受け答えすると、男は電話を切った。 「死にました。」 この報告に片倉は口をつぐんだ。 「留置所から取調室へ移動する際に…

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第4話

3-4.mp3 「今日はこれまでです。皆さん気をつけて帰りましょう。それじゃあおつかれさまでした。」 30名ほどいた教室内の塾生たちは一斉に片付け始めた。 「先生。」 白板を消していた空閑(くが)は後ろから声をかけられたため振り向いた。 「おー千種(ちぐさ)くん。久しぶりですねぇ」 「どうも。」 振り向いた空閑はずり落ちた少し色の入ったメガネを指でクンッと押し上げた。 「どうですか大学は。」 「いや…やっとこついて行ってます…。」 「あ…そうだ。」 そう言うと空閑は帰路につこうとする生徒たちを呼び止めた。 「みんなー聞いてー。彼は千種くんです。以前ここで一緒に勉強していたみんなの仲間です。」 ほらと言って千種に挨拶をするように促す。 「どうも。こんばんわ。千種賢哉(ちぐさけんや)です。」 「千種くんはいまは石大医学部の三年生…でしたっけ?」 「はい。」 カバンを担いだ状態の生徒たちから「すげぇ」という驚嘆の声があがった。 「いまは医学部生の千種くん。実はこの塾に来たとき彼はどこの大学にもいけませんって状態だったんですよね。」 「は…はい…。」 生徒たちから「嘘だろ」とか「冗談だろ」との声が聞こえる。 「でも千種くんは頑張りました。このままじゃ駄目だって一念発起したんです。先生は特別なことはしていない。千種くん自身がひたすら頑張ったんです。頑張るうちに彼はコツを掴みました。コツを掴んでしまえば今まで嫌いで仕方なかった勉強も、むしろ楽しくなりました…

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第3話

3-3.mp3 「今月も変わりなし…と。」 手慣れた様子でキーボードをカタカタと操作した富樫はそのエンターキーを押下した。 「ふぅー。」 ブラウザを立ち上げた彼はニュースサイトを表示させた。 トップを飾るのは国会議事堂前に集結した10万人規模のデモ行動を讃える記事だった。 ツヴァイスタン絡みのあの事件から6年。 事件後、下間芳夫の証言から仁川征爾の生存が明らかになった。 彼の証言によるとツヴァイスタンに拉致されたのは仁川征爾だけではなかった。 少なくとも300名ほどの日本人があの国に不法に拉致されているとのことだった。  政府はこの情報をすぐさま官房長官記者会見で発表。 国民はツヴァイスタンの非道に激怒した。 拉致被害者を実力行使で奪還せよとの世論が盛り上がった。 ときの政府はこの沸騰する国民感情を受けて、拉致被害者奪還を公約に掲げた。 公約実現に必要なのは先ずは予算だ。 政府は国債の発行によって財源を捻出した。そして安全保障関係予算の大幅な拡充を行った。 予算は国家の意思と言う。 具体的な政府の政策に国民は喝采を送った。 しかしあれから6年。未だ拉致被害者奪還はなされていない。 遅々として進展しない状況にいよいよ国民から抗議の声が上がった。 それが今回のデモだ。 しかしこの間、政府は無為無策であったわけではない。 事実、安全保障関係の予算は倍増した。 装備・組織・人員などの強化充実は確実に図られていた。 防諜体制の整備においては念願のスパイ…

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第2話

3-2.mp3 「消防によると昨日、金沢の犀川河川敷で起こったガス爆発は、使用されていたガス器具が何らかの不具合を起こしたために引き起こされた事故であるとのことです。警察は当時ガス器具を使用していた人物の回復を待って詳しい事情を聞くこととしています。」 ベッドから身を起こしてテレビを付けると、昨日の犀川での爆発事件の様子が全国ニュースで報じられていた。 「同時に警察は、自爆テロとしてSNSでデマが流布されたことに重大な関心を示し、当時の投稿動画などの分析を行っています。」 テレビを背にした椎名はノートパソコンを開いた。 そしてデスクトップ上のとあるフォルダを丸ごとゴミ箱に入れてそれを空にした。 続いて動画編集ソフトをアンインストールした。 パソコンの下部に表示されている時刻は8時半だった。 「さてと…。」 寝癖頭をボリボリと掻いて、彼は洗面所に向かった。 水を流す音 歯を磨く音 顔を洗う音 ふと鏡に映り込む自分の顔を見ると、目の下にくまが出ていた。 鏡に顔を近づけると自分の顔にシワらしきものの片鱗が現れていることに気がついた。 携帯のバイブの音 携帯を手にした彼はそれに出た。 「おはようございます。」 「あれ。今日はなんか元気ですね。」 「いえ…そんなことありません。」 「今日もよろしくおねがいします。」 「ええ。いつも通り伺います。」 「じゃあよろしくおねがいします。」 「はい。よろしくおねがいします。」 携帯をテーブルの上においた彼は…

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第1話

3-1.mp3 車に乗り込む音 エンジンを掛ける音 発進する音 ジングルが流れ、それっぽいテイストのニュースに仕上げる 「ちゃんねるフリーダムを御覧の皆さんこんにちは。「ニュースを読む」のコーナーです。今日も気になるニュースをゲストコメンテータの方と、深く掘り下げてお届けしようと思います。今日も司会を務めさせていただくのは小野原教行(おのはらのりゆき)です。」 「本日のゲストは毎週金曜担当の評論家の大川尚道(おおかわなおみち)さんです。大川さん本日もよろしくおねがいします。」 「大川です。よろしくお願いします。」 「今日、大川さんと掘り下げるニュースは「拉致問題」です。」 小野原ニュースを読む 「先ごろ政府のもとで行われた有識者会議では、自国民保護の名のもとに自衛隊を派遣し、拉致被害者の奪還作戦を実行するのは自衛権の範疇にある行為であり、現行憲法下で可能であるとの見解が示されました。この見解を下に、政府は今後米国と連携して、該当国にさらなる圧力をかけていく方針です。一方、国民の間にはこの政府の方針は軟弱であると不満が上がっています。先日も首相官邸前で早期の実力行使を求める1万人規模のデモが行われました。しかし政府は時期尚早であるとして今すぐの実力行使をするつもりはないとのことです。」 「大川さん。大川さんはこの動きをどう捉えられますか。」 「国際社会を説き伏せるための下準備がまだだってことです。ほら勝手に作戦行動なんか起こしてみなさいよ。日本をよく思っていな…

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