第6話

3-6.mp3 石川大学病院の会計待合にひとり佇む男がいる。 彼は会計処理完了の表示をするモニターと並んで設置されたテレビの画面を見ていた。 「人が乗っていた痕跡が確認されないことから、ハングル文字が書かれたこの船は朝鮮半島より何らかの形で流れ着いたものとして警察は捜査しています。」 朝鮮籍の船が漂着した一昨日のニュースが端的に報じられ、次のニュースに移った。 男は周囲を見回す。 自分と同じ高齢の人間が多いこの空間で、ほとんどがスマートフォンに目を落としていた。 人間は放っておいても賢くなるとよく言ったものだ。 かつてはスマートフォンのような難しい機械操作は若い世代にしか対応できないと思われた。 一定の年齢層には受け入れがたい代物だと思われた。 しかし今はどうだ。老いも若きも男も女も暇さえあれば手元で5インチ程度の液晶画面を見ている。 受付番号が表示されると彼は窓口に向かった。 「今日は3,800円です。」 彼は携帯電話を係の女性に見せた。 「電子マネーですね。どちらのお支払いですか。」 「TD(ティーディー トチカディンギ)。」 携帯電話をリーダーにかざすと決済音が鳴った。(ディンギ♪) 「お薬は院外処方となっています。どちらの薬局さんでもこの処方箋を見せればお薬処方されますので…。」 病院正面玄関を出ると春のものとは思い難い冷たい風が吹き込んできたため、彼は思わず身をすくめた。 「さみぃなぁ…。」 MA-1ブルゾンのジッパーを上げて、ニット帽を深…

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第5話

3-5.mp3 2015年8月。 鍋島事件から1年後の都内某所。 通報を受けて現場である路地裏に駆けつけた交番勤務の警官二人は、そこから天を仰ぎ見た。 「おい…何だあれ…。」 視線の先にあるマンション屋上から張り出した鉄骨の先。そこからロープのようなもので何かが吊るされている。 「おい。あの吊られてるあれ…。」 「はい…。」 「あれって…あれだよな…。」 「た、多分…。」 こう答えた警官は思わずその場で嘔吐しだした。 「何だよ…あんなの…見たことねぇぞ…。」 「どうした。何が見える。」 無線から所轄署の音声が聞こえた。 「首…。」 「え?」 「生首がマンションの屋上から吊るされてる…。」 「なに…。」 「しかも…。」 「しかも?」 「顔の形が判別できないくらいに痛めつけられている…。」 「…。」 「なに?顔がぐちゃぐちゃやって?」 片倉肇は、部下からもたらされた事件の概要を聞いて思わず声を上げてしまった。 「はい。」 「またか…。」 「ええ…またです。」 「んなら、あれか。」 「はい。ホシは出頭済み。いまは留置所です。」 「…今度は大丈夫ねんろ。」 「わかりません。念には念を入れた対応をしているそうですが…。」 電話が鳴る音 「はい。マルトク。はい。…ええ…はい。…そうですか。」 元気のない声で受け答えすると、男は電話を切った。 「死にました。」 この報告に片倉は口をつぐんだ。 「留置所から取調室へ移動する際に…

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第4話

3-4.mp3 「今日はこれまでです。皆さん気をつけて帰りましょう。それじゃあおつかれさまでした。」 30名ほどいた教室内の塾生たちは一斉に片付け始めた。 「先生。」 白板を消していた空閑(くが)は後ろから声をかけられたため振り向いた。 「おー千種(ちぐさ)くん。久しぶりですねぇ」 「どうも。」 振り向いた空閑はずり落ちた少し色の入ったメガネを指でクンッと押し上げた。 「どうですか大学は。」 「いや…やっとこついて行ってます…。」 「あ…そうだ。」 そう言うと空閑は帰路につこうとする生徒たちを呼び止めた。 「みんなー聞いてー。彼は千種くんです。以前ここで一緒に勉強していたみんなの仲間です。」 ほらと言って千種に挨拶をするように促す。 「どうも。こんばんわ。千種賢哉(ちぐさけんや)です。」 「千種くんはいまは石大医学部の三年生…でしたっけ?」 「はい。」 カバンを担いだ状態の生徒たちから「すげぇ」という驚嘆の声があがった。 「いまは医学部生の千種くん。実はこの塾に来たとき彼はどこの大学にもいけませんって状態だったんですよね。」 「は…はい…。」 生徒たちから「嘘だろ」とか「冗談だろ」との声が聞こえる。 「でも千種くんは頑張りました。このままじゃ駄目だって一念発起したんです。先生は特別なことはしていない。千種くん自身がひたすら頑張ったんです。頑張るうちに彼はコツを掴みました。コツを掴んでしまえば今まで嫌いで仕方なかった勉強も、むしろ楽しくなりました。高…

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第3話

3-3.mp3 「今月も変わりなし…と。」 手慣れた様子でキーボードをカタカタと操作した富樫はそのエンターキーを押下した。 「ふぅー。」 ブラウザを立ち上げた彼はニュースサイトを表示させた。 トップを飾るのは国会議事堂前に集結した10万人規模のデモ行動を讃える記事だった。 ツヴァイスタン絡みのあの事件から6年。 事件後、下間芳夫の証言から仁川征爾の生存が明らかになった。 彼の証言によるとツヴァイスタンに拉致されたのは仁川征爾だけではなかった。 少なくとも300名ほどの日本人があの国に不法に拉致されているとのことだった。  政府はこの情報をすぐさま官房長官記者会見で発表。 国民はツヴァイスタンの非道に激怒した。 拉致被害者を実力行使で奪還せよとの世論が盛り上がった。 ときの政府はこの沸騰する国民感情を受けて、拉致被害者奪還を公約に掲げた。 公約実現に必要なのは先ずは予算だ。 政府は国債の発行によって財源を捻出した。そして安全保障関係予算の大幅な拡充を行った。 予算は国家の意思と言う。 具体的な政府の政策に国民は喝采を送った。 しかしあれから6年。未だ拉致被害者奪還はなされていない。 遅々として進展しない状況にいよいよ国民から抗議の声が上がった。 それが今回のデモだ。 しかしこの間、政府は無為無策であったわけではない。 事実、安全保障関係の予算は倍増した。 装備・組織・人員などの強化充実は確実に図られていた。 防諜体制の整備においては念願のスパイ防止…

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