第11話

3-11-2.mp3 自宅に帰って来た椎名は着替えてそのままベッドの上に寝転んだ。 「なんか寒いな…。」 ボソリと独り言をつぶやいて頭から羽毛布団をかぶった彼はその中で携スマートフォンを操作し始めた。 SNSアプリを立ち上げ、チャットのような画面を表示させるとテキストを打ち始めた。 「お世話になっております。第一回放送分のプレビュー版は今週末にはお見せできます。」 間もなく京子からレスポンスがあった。 「了解です。データはストレージサービスを利用するか何かで送ってもらえますか。」 「いや、ちょっと容量が大きいので、直接お渡ししたほうが確実かと思います。」 「わかりました。DVDに焼いてください。弊社はUSBでのデータ受けは禁止されていますので。」 「かしこまりました。どこでデータの受け渡しをすればよろしいですか。ご指示ください。」 「休日にわざわざ弊社までご足労をいただくのは恐縮ですので、私がご自宅まで取りに伺います。」 「家はちょっと…。」 「じゃあ近くのどこかで。」 「またBOCTOKにしましょうか。」 「いいですよ。」 日時を改めて確認し、椎名は携帯をスリープ状態にした。 そしてベッドから身を起こして部屋の電気を切り、再びそこに潜り込んだ。 布団を頭からかぶった彼は枕の下を指で探り、何かを掴んだ。 そしてスマートフォンのSIMカードを抜き取って今掴んだものを差し込み、再びそれを見る。 今度は京子とやり取りしたものとは別のSNSアプリを立ち上げ、それ…

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第10話

3-10.mp3 夜。 自宅近郊某牛丼チェーン店の駐車場に車を停めると、椎名はいつものことのように財布と携帯だけを持って店に入った。 入店前に食券を買い、扉を開くと威勢のいい声で「いらっしゃい」と来店を歓迎された。 店内のカウンター席は客・空席・客・空席と規則正しく、間隔を開けて埋まっており、椎名はこの隙間のどこかに座ることを余儀なくされた。 彼は入り口から一番奥の空席に座った。 「いらっしゃいませ。冷たい水と熱いお茶どちらにしますか。」 店員が椎名に声をかけた。 「熱いお茶で。」 そう言って食券を渡すと店員が大きな声でオーダーを厨房に伝えた。 茶を啜る音 「どうした。」 「接触完了。」 「聞いている。」 「K(カー)は察知している。」 「なんだって…。」 「特課の娘だから、さもありなん。」 「で。」 「プランB(ベェ)。」 「うん。」 「おまたせしました。豚焼肉定食です。」 椎名は定食がもられた盆を受け取った。 テーブルに備え付けられていたドレッシングをサラダにかけて、椎名はそれを頬張った。 「今後の接触にもBOCTOKを使ってくれ。」 「Да」 「あそこは信頼できる。」 「そうか。でも客が多いぞあそこは。Я вижу Но там много клиентов.」 「だから良いんだ。」 「…なるほど。Понимаю」 「木の葉を隠すなら森の中。」 こう言って椎名の隣に座っていた男は、食事を終えその場から立ち去った。 味噌汁を…

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第9話

3-9.mp3 金沢市郊外の図書館には新年度が始まったばかりの穏やかな時間が流れていた。 タートルネックのニットにジャケット姿。ジーンズを履いている足元は革のサイドゴアブーツ。 小奇麗な出で立ちの彼は自習室で何かの本を開き、ノートにペンを走らせていた。 空閑である。 「ふう~。」 本を閉じた彼は机の上を片付けて席を立った。 本を元の位置に戻して図書館を後にすると彼は携帯電話を耳に当てた。 「私だ。」 「現代建築の文学的考察に。」 「ああ。」 「…何?」 「わかった…今晩会おう。」 携帯電話を懐にしまった彼は車に乗り込んだ。 「椎名が…。」 エンジンを掛けるとダッシュボードに組み込まれた時計が15時を表示した。 ---------------------------------------- 「ふーん…。」 自宅の畳に座ってなにかの書類に目を通す古田の鼻には老眼鏡が乗っていた。 「で、なんでまたこの光定ってヤツは、こんな田舎の大学病院なんかに来たんや。」 「東一の水が合わんかったようなんです。」 「水が合わん…か。」 「ええ。まぁ結局のところ人間関係がうまく行かんかった。それが原因のようですよ。んで大学時代の恩師でもある石大の天宮(あまみや)教授を頼って、ここの大学病院に来た。」 「それが去年。」 「はい。かつての久美子の担当医である曽我は心療内科の世界では名の通った医師です。彼の研究論文は世界的にも評価され、先ごろは科学雑誌にもそ…

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第8話

3-8.mp3 ネットカフェの個室で漫画をまとめ読みしていた椎名の携帯が震えた。 いくら個室と言っても薄いパーテーションで仕切られた空間。 ひとたび携帯電話で話そうものなら、周辺の部屋から壁ドンの抗議が舞い込んできそうだ。 彼はトイレの方に移動してそれに出た。 「はい。」 「あっ。椎名賢明さんのお電話ですか。」 「はい。」 「わたくし、ネットメディアのちゃんねるフリーダム記者の片倉京子と申します。弊社カメラマンの安井の紹介でお電話いたしました。」 「ちゃん…フリですか?」 「ええ。」 「あ…はぁ…。」 「突然お電話して申し訳ございません。実は椎名さんに折り入ってお願いがあってお電話したんです。」 「え?」 「実はとある情報を今度ちゃんフリの番組内で放送しようと思ってるんですが、なにぶん弊社の制作技術者がいっぱいいっぱいで、外部に委託する必要性が出てきたんです。ついては椎名さんにご協力いただけないかと思いまして。」 「え?協力ですか?」 「はい。」 「協力って、具体的にどういった…。」 「安井からは椎名さんは映像の編集に優れた能力をお持ちだと聞かされています。」 「…。」 「え?椎名さん?どうしました?なんだか電話が遠いようですが。」 「あ。す、すいません。急なお電話でしたのでちょっと動揺してしまいました。っていうか…安井さんってちゃんフリの人だったんですか。」 「あ、ご存じなかったんですか。」 「はい。」 「あのーどうしょうか椎名さん。」 …

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第7話

3-7.mp3 圧制下のツヴァイスタンから命からがら逃げてきた自分に待ち受けていたのは、 自由とはとうてい言えないものだった。 何をするにもどこかで誰かの目が光っている。 この感覚自体はあの国にいたときとそう変わらない。 自分は本当の監視社会を身をもって知っている。 ツヴァイスタン人民共和国オフラーナ(охрана)。 彼の国の秘密警察である。 どれだけの人員がその組織に所属し、具体的にどういった任務を担っているのかは誰も知らない。 ある日突然、近所の気のいい男が彼らに連行されるところ。 なんの前触れもなくそのあたりの人間が射殺されるところ。 公衆の面前で何らかの容疑をかけられた人間がリンチされるところなど。 自分がそのオフラーナと言われる組織の活動を目の当たりにするのはこういった結果の部分だけだった。 オフラーナに隠せることなど何一つない。 なぜならツヴァイスタンには密告制度が確立されているからだ。 たとえ家族であっても反体制分子たる予兆を発見すれば、それは密告される。 なぜならその密告を怠ったことで、家族全員が処分されるなんてことはザラであるからだ。 24時間365日。一瞬も気を抜けない。 常に監視の目が光っている。 あのときと似た空気が自分を覆っている。 そう椎名は感じていた。 しかしこの国の監視はあの国のものとは決定的に違っていた。 ある日突然あらぬ疑いをかけられて、その場で逮捕。拷問の末に裁判なしの死刑なんて処分はない。 気がついたら…

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