第4話

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「今日はこれまでです。皆さん気をつけて帰りましょう。それじゃあおつかれさまでした。」
30名ほどいた教室内の塾生たちは一斉に片付け始めた。
「先生。」
白板を消していた空閑(くが)は後ろから声をかけられたため振り向いた。
「おー千種(ちぐさ)くん。久しぶりですねぇ」
「どうも。」
振り向いた空閑はずり落ちた少し色の入ったメガネを指でクンッと押し上げた。
「どうですか大学は。」
「いや…やっとこついて行ってます…。」
「あ…そうだ。」
そう言うと空閑は帰路につこうとする生徒たちを呼び止めた。
「みんなー聞いてー。彼は千種くんです。以前ここで一緒に勉強していたみんなの仲間です。」
ほらと言って千種に挨拶をするように促す。
「どうも。こんばんわ。千種賢哉(ちぐさけんや)です。」
「千種くんはいまは石大医学部の三年生…でしたっけ?」
「はい。」
カバンを担いだ状態の生徒たちから「すげぇ」という驚嘆の声があがった。
「いまは医学部生の千種くん。実はこの塾に来たとき彼はどこの大学にもいけませんって状態だったんですよね。」
「は…はい…。」
生徒たちから「嘘だろ」とか「冗談だろ」との声が聞こえる。
「でも千種くんは頑張りました。このままじゃ駄目だって一念発起したんです。先生は特別なことはしていない。千種くん自身がひたすら頑張ったんです。頑張るうちに彼はコツを掴みました。コツを掴んでしまえば今まで嫌いで仕方なかった勉強も、むしろ楽しくなりました。高校生の若い脳みそは柔らかい。千種くんはどんどん知識を吸収しました。結果、難関の石大医学部に入学したんです。」
生徒の前に立たされる格好で紹介された千種は照れくさそうだ。
「みんなも高校生。みんなも千種くんになる可能性を秘めています。コツさえ掴んでしまえば勉強は楽しくなります。楽しいことは放っておいても頭に入ります。だからコツを掴むのが勉強においていちばん大事なんです。ただコツを掴むにはしんどい頑張りが必要です。みんなはそのコツを掴む訓練をこの塾でしてる。そういうことです。」
「先生。」
ひとりの生徒が手を上げた。
「はいなんですか。」
「じゃあコツを掴んだら、この塾には来なくてもいいってことですか。」
空閑はニコリと笑った。
「はいそうです。ですがみんながコツを掴んだかどうかを判断する必要があります。それがこの塾でのテストってことです。」
「あ…。」
「結局みんなの大学受験が終わってはじめてコツを掴んだかどうか判断できるってわけですね。っていうか、そんなに簡単にみんなにコツ掴まれたら先生は商売上がったりになってしまうんですけどね。」
教室内にどっと笑い声が起こった。
生徒が帰った教室は空閑と千種の二人だけとなった。
「あなたがここに遣わされるということは、なにか動きでもあったんでしょうかね。」
千種は何も言わずに鞄からハトメ付きの封筒を取り出して、それを空閑に手渡した。
「僕は光定(みつさだ)先生からこれを渡すよう言われただけです。」
それを受け取った空閑は蓋を開いて中を覗き込んだ。
「先生は他になにか言ってませんでしたか。」
「正直、なにがどうなっているのか分からないと…。」
「ほう。」
「詳しくは中に書いてあるとおっしゃっていました。」
「…わかりました。」
「先生。先生は光定先生と何をやりとりしてるんですか?」
空閑は封筒を自身の鞄の中にしまった。
「僕と光定先生は昔からの友人。文通ですよ文通。」
「…こんなSNSとかメールとかある時代に…。」
「まあ、あまり詮索しないでください。大人の事情です。」
「大人の…ですか。」
空閑はうなずいた。
「ところで千種くん。」
「はい。」
「どうですか医学生生活は。」
「順調です。光定先生を紹介してくださった空閑先生のおかげです。」
「ははっ、私は何もしていませんよ。」
「光定先生は何かと親切に僕に教えてくださいます。」
「そうですか。だったら良かった。僕のツテが君の役に立っているんだったら何よりです。」
「僕は空閑先生に足を向けて寝られないです。」
「止めてくださいよ。大げさです。私はあくまでも学習塾の講師。他人のやる気を引き出すのが仕事。千種君が医学生として頑張ってやってられるのは、君の力によるもの。僕はきっかけを作ったに過ぎないです。」
「謙遜しないでくださいよ先生。」
改めて礼を言う千種に空閑はどこか照れくさそうに笑みを浮かべた。
「こう面と向かってかつての教え子に礼を言われると、嬉しいもんですね。…ただ。」
「…ただ?」
「その分裏切られたとき、それは深く傷つくもんです。」
「裏切る?」
「ええ。」
そういった空閑はうなだれた。
「え?どうしました?」
「…駄目ですよ。勝手なことしたら。」
うなだれたまま発生られる空閑の声色が先程のものと違う。
「え…せ、先生…?」
「封筒の中、見たでしょう。」
「え…?」
「あなたが中を見た形跡があります。」
千種は絶句した。
「私は事前に光定先生からこの封筒にどういう書類がどういう形で入れられているか知らされています。」
そう言うと空閑は携帯を取り出して写真を表示させた。
それは封筒のハトメの状態を納めた画像だった。
「紐の結び方が違う。」
「え…。」
「先生があらかじめ送ってきた画像と違うんですよ、この封筒の結び目。開けたんでしょ。これ。」
「そんな事やってません。」
「開けた。」
「開けてません。」
「開いてまた閉じた。」
「紐すら触っていません。」
「嘘つき。」
「嘘じゃありません。」
「やっていないって言うんですか?」
「やっていません。」
「じゃあ証明して。」
「しょ…証明?」
「ええ。あなたが封筒を開いていない証明をして。」
「そ…そんな…無茶苦茶な。」
千種の表情は困惑と恐怖が綯い交ぜになっている。
「ふふっ。」
空閑はニヤリと笑った。
「え?」
「ちょっとしたことで疑いをかけられる。」
「…。」
「千種くんも気をつけてくださいね。」
「…は、はい…。」
「先ずは身内から疑えですよ。」
「身内から…。」
「そうです。身内からです。」
「…気をつけます。」
「少なくとも我々の世界ではね。」
空閑は千種の肩を軽く叩いた。



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