第10話




夜。
自宅近郊某牛丼チェーン店の駐車場に車を停めると、椎名はいつものことのように財布と携帯だけを持って店に入った。
入店前に食券を買い、扉を開くと威勢のいい声で「いらっしゃい」と来店を歓迎された。
店内のカウンター席は客・空席・客・空席と規則正しく、間隔を開けて埋まっており、椎名はこの隙間のどこかに座ることを余儀なくされた。
彼は入り口から一番奥の空席に座った。
「いらっしゃいませ。冷たい水と熱いお茶どちらにしますか。」
店員が椎名に声をかけた。
「熱いお茶で。」
そう言って食券を渡すと店員が大きな声でオーダーを厨房に伝えた。
茶を啜る音
「どうした。」
「接触完了。」
「聞いている。」
「K(カー)は察知している。」
「なんだって…。」
「特課の娘だから、さもありなん。」
「で。」
「プランB(ベェ)。」
「うん。」
「おまたせしました。豚焼肉定食です。」
椎名は定食がもられた盆を受け取った。
テーブルに備え付けられていたドレッシングをサラダにかけて、椎名はそれを頬張った。
「今後の接触にもBOCTOKを使ってくれ。」
「Да」
「あそこは信頼できる。」
「そうか。でも客が多いぞあそこは。Я вижу Но там много клиентов.」
「だから良いんだ。」
「…なるほど。Понимаю」
「木の葉を隠すなら森の中。」
こう言って椎名の隣に座っていた男は、食事を終えその場から立ち去った。
味噌汁をすすりながら、彼は隣の席に無造作に置かれた食券の控えを拾い上げた。
そして何食わぬ顔をしてそれをポケットにしまい込み、そのまま食事を続けた。

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「おー京子じゃん。どしたの?ずいぶんと遅くまで頑張るねぇ。」
時刻は20時。
ちゃんフリが入居するビルの自販機コーナーで、京子はデスクである黒田と遭遇した。
「え。」
「え。って...。」
「仕事ですから。」
黒田は肩をすくめた。
「あんまり無理すんなよ。君の帰りが遅いと、お父上に僕がどやされる。」
「父はそんなことでデスクを詰めません。」
「さぁどうかな。」
手にした紙カップのコーヒーを彼は啜った。
「今日はまだやるの?」
「はい。キリのいいところまで。」
「どれ飲む?」
「え?」
「いいよ奢るよ。」
「そっか。技術者混んでるもんな。」
「だから今回は自分で外注使うことにしました。」
二人は休憩スペースのソファに腰を掛けていた。
「おっ。リスク取るんだ。」
「…。」
「言っとくけど俺はデスクって立場上、いまの話は聞かなかったことにするからね。」
「…わかってます。」
「ようこそ自己責任の世界へ。」
「なんなんですか。デスク…。妙に楽しそうな感じじゃないですか。」
「そう見える?」
京子の指摘の通り黒田はにやけていた。
「進捗はどうなの。そのネタ。」
「ぼちぼちです。近いうちにデスクに見せれると思います。」
「楽しみにしてるよ。」
「はい。」
黒田は手にしていた紙カップをゴミ箱に捨て、立ち上がった。
「リスク取らないとリターンはない。」
「え?」
「要所要所で人間ってもんはそういう局面に立たされる。君ならそれを身を持って知っているはずだ。」
「…はい。」
「あ、そうそう。話は変わるんだけど、どうなんだよ。」
「何のことですか?」
「ほら彼氏。」
「え…。」
「相馬のやつ、日本に帰ってきたってのは聞いてんだけど、全然こっちに顔見せないんだ。京子はあいつと連絡とってるんでしょ?」
「ま…まあ…。」
「あいつ今どこで何してんのさ。」
「…なんか、東京の方でバイトしとるみたいですよ。」
「え?東京でバイト?みたい?」
「はい。」
「何よ、そのぼんやりした言い方。」
「あんまり喋ってくれないんですよ。仕事に関しては。」
「え…ちょっと待ってよ。ツヴァイスタン語を勉強するってロシアに語学留学して、帰ってきてバイト?」
「はい…。」
「なにそれ。」
「何って…なんか、ピンとくる仕事がないとか…。」
「じゃあウチで働きなって言っておいてよ。こっちは猫の手も借りたいくらいなんだ。」
「あ…はい…。」
「相馬と同じ職場ってダメ?」
「なんか…考えられません。どっちかって言うと同じ職場ってのだけは勘弁っていうか、嫌です。」
「嫌…。」
「はい。」
「…君ら本当に付き合ってんの?」
「まぁ…。」
彼女の表情が曇ったため、二人の間に気まずい空気が流れた。
「さ、今日は俺あがるわ。」
「あ…はい。」
「まぁあんまり無理すんなよ。いまその仕込んでるネタ、ひと区切りついたら、休みとってどこか行って気分転換してこい。」
「休み…ですか…。」
「ああ。それこそ相馬とどっか行ってこいよ。」
「え?」
「じゃあな。」
そう行って黒田はその場から姿を消した。
時刻は20時半を打っていた。
人気がなくなってきたオフィスビルの休憩コーナーにひとり、温かいミルクティーを手にして座っている自分。
ふとそれを客観視したとき、得も言われぬ孤独が京子を襲った。
「いいんだ…今は…。仕方ない…。」
こう自分に言い聞かせて彼女もまたその場を後にした。

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都内某所
とある築40年の10階建マンションの一室。
窓からフィールドスコープを使って外を見る男がいた。
「あ。」
声を発した瞬間、彼はスコープに装着されている一眼レフのシャッターを切った。
「動いたか。」
「はい。」
「見せてみろ。」
白髪頭の男がカメラのビューアを覗き込んだ。
「間違いない。ヤドルチェンコや。ハンチングなんか被りやがって…。」
「ウ・ダバ…。」
「あいつら…何しようっちゅうんや…。」
「つい先日も加佐ノ岬で無人のツヴァイスタン籍の不審船が漂着したと聞いています。」
「ああ。」
「ここ2ヶ月で5件。何かの意図を持って行動しているような…。」
「意図アリアリや。」
「え?」
「相馬。携帯で『ウ・ダバ 犯行声明』で検索してみれ。」
相馬は言われた通りにした。
「片倉班長…。これ…。」
「どうや。」
「犯行声明って言うか、犯行予告じゃないですか。」
「おいや。」
「…まずいですよ。」
「まずいな。」
撮影された何枚かの写真を一通りチェックした片倉は、
マンションの通路を歩くハンチング帽をかぶる白人をそのままフィールドスコープで追跡するように指示を出した。
「レフツキー・ヤドルチェンコ。元ロシア対外情報部情報員。かつてのロシアンスパイ。もともとは旧東側諸国で工作活動に従事しとった。しかしその工作活動は失敗。旧東側が次々とEUに加盟。反対にこれらの国々にロシア脅威論が唱えられる始末。失敗の責任を取る形で奴はロシアの対外情報部を辞任。その後各国情報機関でアドバイザーなどの仕事をし、現在は香港で雑貨商を営んどる。」
「その各国情報機関のアドバイザー時代に、国際テロ組織ウ・ダバとの接点があり、彼らの非合法活動の助言も行っていた疑いがある。現在の香港での雑貨商というのも世を忍ぶ仮の姿。中国共産党の情報機関の顧問にあり、武器商人の顔を持つとの情報もある。」
「そう。そのヤドルチェンコがこのタイミングで日本にいる。」
「日本海側に次々と漂着する不審船。北陸新幹線の社内で撒き散らされた人糞。犀川のテロデマ騒ぎ。」
「これらが無関係やって推測するほうが難しいやろ。」
「はい。」
片倉はタバコを咥えてそれに火をつけた。
「やつが出てきたあのマンションには雑貨のブローカーが居る。いわゆる転売屋や。ヤドルチェンコは一応本業の体であそこを訪問したわけやけど、その実際のところはよくわからん。」
「じゃあ盗聴しますか。」
「やってもらえるか。」
「はい。」
「よし。じゃあこっちで準備する。それまで相馬、お前は休め。」
「え?」
唐突な片倉の命令に相馬は驚きを隠せなかった。
「令状の請求などに3日かかる。それまでお前は休暇とれ。」
「え…いいんですか。」
「お前、働き詰めがいや。こっち帰ってきてから。」
「って言っても捜査は…。」
「3日間は何もすることないって。その間ヤドルチェンコは別のモンが追う。周、お前は休め。」
「そんな事言っても、班長も全然休んでないじゃないですか。」
「俺?」
「はい。」
「休んどるよ。」
「え?」
「こっちはお前さんと違ってサツカン歴長いんや。手の抜きどころぐらい心得とるわ。」
「そう…ですか…。」
「たまには京子と会ってやってくれ。」
「…。」



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