第17話



ドアを閉める音。
洗面所に走ってそこで手を洗い、うがいを激しく行う。

「はぁはぁ…はぁ…」

息を切らす。しばらくしてそれは収まりつつあった。

ーあれ?なんで俺、ここで手ぇ洗ってんだ…。

携帯電話を取り出してそれを見る。
時刻は16時半だ。

「…えっと…俺、何やってたんだっけ…。」

携帯のメッセージ履歴を確認するも今日の昼から今に至るまで、自分以外の誰とも連絡をとった形跡がない。
そこで彼は通話履歴を見た。
どうやら今日の朝に電話をしたようだ。

「キング…。」

そう言うと彼は頭を抱えた。

「確か…朝早くにキングと電話した。けど俺…あいつと何話してたっけ…。」

激しい頭痛が彼を襲ったため、手にしていた携帯を床に落としてしまった。

回想

携帯が震える
再びそれを手にした彼の動きは止まった。

「紗季…。」

「慶太どうしたの?大丈夫?」

扉越しに心配そうな声で彼の名を呼ぶ声が聞こえた。母である。

「え、いや…なんでもないよ。」

彼はとっさに携帯をポケットにしまった。

「なんでもないって…何か落ちた音したわよ。」
「そ…そう?」
「それに帰ってきたと思ったらドカドカって乱暴に洗面所に駆け込んで。」
「あ…そうなの?」
「そうなの?って本当に大丈夫。」
「あ…う、うん。大丈夫だよ。心配しないで。」
「心配するわよ。紗季の名前つぶやいてるし…。」
「紗季の名前?」
「あら…私の聞き間違いかしら。」
「う、うん。そうだよ。」

母はため息をついた。

「…7回忌よ。」
「え?」
「12月で7回忌よ慶太。」
「あ…言われてみれば…。」
「なんだ、気づいてなかったの?てっきりそのことで紗季の名前つぶやいてるのかと思った。」
「あ、いや…。」
「昨日、お父さんとちょうど話してたの。7回忌の法要どうするかって。」
「どうするかって、どういうこと?」
「正直、金沢のお寺さんまでその度に行くのってどうかなって思ってるの。」

洗面所の扉を開いた彼は母と向き合った。

「え…どうかなって…意味分かんないけど。」
「大変だからどうかなって。」
「何いってんだよ。行かなきゃだめだろ。あそこには紗季がいるんだし。それにじいちゃんとばあちゃんも。」
「負担なのよ…。」
「負担?」
「そう。」

朝戸慶太、43才。就職活動に失敗した彼は以降、定職につくことなく非正規社員として、様々な会社を転々とすることを余儀なくされた。何度か派遣先の会社で正社員の話があったが、東京の有名私大を卒業したという妙な自負心がそれを断らせた。結果、現在はバイトを掛け持ちするフリーター。年金暮らしの両親と同居する独身男性という身分だ。
自身の経済力のなさが朝戸家の墓参や法事の妨げになっているのではと、彼は恐る恐る母に尋ねた。

「あの…ひょっとしてお金の話?」

それに母は首を振って答えた。

「違うの。お金じゃないの。お父さんの体よ。」
「あ…。」
「いくら新幹線が通ったって言っても、2時間半の移動はお父さんの体には堪えるわ。」

慶太の父親は3年前にがんを宣告された。
外科治療を施したが、転移が発見され今は抗がん剤の投与がなされている。
そんな父の体調は当然良いとは言える状況になく、彼に遠出を強いるのは無理があることも承知している。
彼は口をつぐんだ。

「朝戸家は代々金沢のお家。お父さんの生まれ故郷も金沢。だからお墓もお寺も金沢。けど、お父さんがこんな状態だと正直金沢に行くこと自体が負担なのよ。」
「じゃあどうするんだよ。」
「どこかのタイミングであのお墓、こっちに持ってこようかって思ってる。」
「え、それってお墓の引っ越しってやつ?」
「うん。そうすればいつでもお墓参りできるし、紗季も金沢で寂しい思いでいなくていいから喜んでくれるんじゃないかしら。」
「…お父さんはなんて言ってんの。」
「好きにしてくれって。」

6年前、慶太の妹である紗季は事故で死んだ。横断歩道を渡っていた際に起こったひき逃げ事故だった。
警察の捜査でひき逃げした車両は特定された。しかしその車を当時運転していた人間の特定には至らなかった。結果的にひき逃げをした犯人の検挙には至らなかった。
それから数カ月後、慶太はあるところから情報を入手する。紗季を轢いた車両は当時の警察幹部所有のもので、どうやら運転していたのはその息子のようであるという情報だった。
これに慶太は憤懣遣る方無い状況に陥った。
警察が組織ぐるみの隠蔽工作をしたに違いない。そう判断した慶太は警察の捜査が不十分であると抗議をする。しかし捜査が不十分であるという証拠がないということで彼の行動は何の成果も得ることがなかった。

「お墓の引っ越しって簡単に言うけど、それって手続きとかお金とか結構大変なんじゃないの。」
「うん。だから暇な私が動こうと思うの。」
「今すぐ?」
「ううん。タイミング見て。」
「待ってお母さん。俺、言うほど金沢ってとこ行ったことないんだ。ここでお墓引っ越したりしたらそれで俺、金沢と縁切れてしまう。」
「何いってんの。電車で2時間半よ。お父さんにはちょっとしんどいかもしれないけど慶太にはすぐよ。その気になればぶらっと遊びにいける距離よ。」
「あ、いや、そういうんじゃなくて縁(ゆかり)がなくなってしまうっていうか…その…何ていうか…。」
「…まぁ、あなたの言ってることもわからないでもないわね…。」

テレビの音が聞こえた。ニュースのようである。

「なにかあった?」
「慶太知らないの?」
「え、なに?」
「東倉病院でテロだって。」
「え?本当に?」
「神経剤を使用した化学テロって話よ。物騒よね…。」

朝戸はテレビが流れるリビングに移動した。

「被害者は元警察官で大変正義感あふれる方だったようですね。」
「現在入っている情報によれば、この被害者が入院していた病室の中のペットボトルから神経剤の反応がでているようです。したがって今回のテロ事件はひょっとするとこの被害者を殺害する目的で起こされたものかもしれません。」
「といいますと?」
「神経剤を使用することで現在死亡が確認されている被害者以外の周辺にも危害を加えることができます。そうすることで無差別殺人という形態になり、テロの性格が強くなります。つまりテロに見せかけて特定の対象だけを殺害するという手の混んだ偽装工作を行ったとも考えられるでしょう。」
「まってください。どうして周囲の人間も巻き込んだ偽装を行う必要があるんですか?」
「犯人はこの元警察官だけを殺したかった。しかしそれを知られたくなかった。だから周囲も巻き込んだ。」

黙ってテレビを見ていた二人だったが慶太が口を開いた。

「被害者は警察だってさ。」
「そうね。」
「警察って公安機能の強化っていって予算拡充されてんじゃなかったっけ?」

母は黙っている。

「掛け算だよ掛け算。どんだけ予算投入してもそこがゼロだったらゼロ。0かける100は0。つまり無駄。」
「俺らの税金がドブに捨てられてるならまだマシさ。あいつら金かけて、まんまとテロなんかされて挙げ句身内の人間すら守れてないんだ。」
「そんな奴らに紗季の事故しっかり調べろって言ってた俺の方が狂ってるか…ははっ。」

「警察なんていらないわ。」
「本当だ。用なしだ。」

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報道フロアに険しい顔付きで片倉京子が戻ってきた。

「おう、おつかれさん。」
「お疲れさまです。キャップ。どうです。」
「画、入ってきてる。」

三波はフロアのテレビを見ながら話す。

「本当や…。自衛隊の車や。」
「そうなんだよ。物々しいな…。」

規制線の外から抑えられた映像に映る人間の殆どが防護服を着ている者や、迷彩服を着た自衛官、そして白衣姿の人間だった。

「まるで有事ですね。」
「うん…。」
「キャップ。」
「あん。」
「警察の姿が見えん気がするんですけど。気のせいですか。」
「いや、気のせいじゃない。サツの姿がない。」
「…何やってんですかね。」

公安警察の壁が突破されたからこの事態がある。
そう出かかったが、警察官の父親をもつ彼女を前にしてそんなことを言えるわけもない。
三波は言葉を飲み込んだ。

「知らねぇよ…。でも原状回復はあいつらより自衛隊のほうがうまいだろうから、いいんじゃないの。下手にサツなんかがここで出しゃばると足手まといになるかもよ。」
「そうですね…。」

三波とのやり取りの間、画面の周囲に事件に関する情報がテキストで表示されていた。それを見て京子は事件の概要を掴みつつあった。

「よかった…5名心肺停止って間違いだったんですね。」
「ああ。4名は一命をとりとめたらしい。でも一人は死亡が確認されてる。」
「そうなんですね…。」
「死んだのは元警官らしい。」
「え…?」
「テロは防げないわ、元同僚は殺されるわボロボロだよ。サツは。」
「…。」
「まさか令和の時代に入って間もない頃に平成のテロ事件を彷彿させるもんが起るとはねぇ。」
「あの、犯行に使用された神経剤って。」
「わかんね。でもあいつらはそれがなにか知ってるはずだ。」
「なんでそんなことわかるんですか?」
「使用された物質が何かわからないことには、対応ができないだろ。現に一時は死んだと思われた人間が息吹きかえしてるんだ。あいつらは使用されたモンとそれに対応する術を心得ている。」
「なるほど。」
「幸いなのは被害が最小限に食い止められつつあるってことか…。」
「そうですね。」
「そういう意味では安全保障関連の充実ってのは効果が出てんのかもしれないなぁ。」
「別に警察のかた持つわけじゃないですけど、安保関連の充実を図っていたからこれで収まった。ってことも考えられませんか。」
「確かに。けど…。」
「なんです。」
「これで収まんのかな…。」

三波のこのつぶやきに、京子は反応できなかった。


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