第50話



時刻は14時。
外来患者の診察をひと通り終えた彼は、自分の車の中で昼食をとっていた。
パンを齧りながら彼は器用に携帯電話を操作する。

「一時はどうなることかと思った。けど流石だなクイーン。君が処方してくれた強めの薬が効いたみたい。」
「副作用は。」
「それも心配ない。直接その目で見てもらった。金沢自分癒やしの旅って当初の目的は果たされつつあるよ。」
「そう。よかった。」
「今日はこれからナイトが言ってた自分のルーツを探る的な場所一緒に巡って宿へ届けることにするよ。」
「宿はどこ?」
「それは言えない。」
「どうして。」
「直接会うだろ。」
「だめか。」
「何度も言うように、君とナイトが直接接触するにはリスクが有る。公安が嗅ぎつける可能性は排除したい。」
「ビショップ。」
「なんだい。」
「時間の問題なんだ。」
「え?どういうこと?」
「ナイトはもう長くない。すでに脳の状態は限界まで来てる。」
「ということは…。」
「自分で死を選ぶ。」
「まじかよ…。」
「ナイトには山県という特別な安定剤があったからここまでもった。」
「まて、今回わざわざ直接投与したんだ。効き目はあるんだろ。」
「朝戸慶太という人格の洗脳という行為自体が人為的なもの。それを制御、維持するためにさらに人為的な投薬。その副産物である記憶障害、人格障害をさらに人為的に制御。心のすべてを人の手で制御するというのは到底無理なもの。いずれ破滅はやってくる。」
「リミットは。」
「もって数日かと。」
「なんてことだ…。」
「ビショップ。僕はここに来て計画を止めようと言ってるわけじゃない。計画は続行する。ナイトは僕にとって重要な被検体だから。」
「被検体…。」
「でも朝戸は僕の友人でもある。最後にもう一度だけクイーンとナイトではなく光定と朝戸で会わせてくれないか。」

このメッセージを送信して光定はふと顔を上げた。
車のガラス窓には朝からの雨が降り懸かっていた。

雨音

7年前のこの時間も光定はこの空間にいた。
パンを齧りながら今のものと比べてサイズは小さいけれども、同じくスマートフォンを触っていた。
彼は巨大掲示板の中の氷河期という板を巡回するのが日課だった。
自分と同世代の連中が政策の失敗によって、非正規雇用を余儀なくされている。
彼ら彼女らの世の中に対する恨みつらみがそこには蔓延していた。

なぜ東一卒業後、そのまま大学病院に勤務となった彼がそんな場所を巡回しているのか。
それも常に鼻をすすり、話し方もおぼつかない彼固有のコミュニケーション障害が、職場での孤立を深めていたためだった。

ここには自分と同じように自分の力ではどうにもならないもので、社会から不利益を被っている人たちが集まっている。
光定はこのネット空間に救いを求めていたのである。

「コミュ?」

あるスレッドで石川県でコミュという団体が発足して、急速にその勢いが増してきていると話題になっていた。
どうやらネットだけのつながりをリアルにも発展させたオフ会のようなものらしい。

「へぇ…東京でも出張イベントか…。」

コミュの東京イベント会場は小さな会議室だった。参加人数は15名ほど。その誰もがうつむき加減。何らかの悩みを抱えたような表情である。
誰も自分から人に話しかけない。皆が距離を取りながら席に座った。

「はい。時間となりましたので始めさせていただきたいと思います。」

会場の前方に座っていた男が立ち上がって話しだした。

「みなさんこんにちは。私がコミュの運営代表の仁川です。よろしくお願いいたします。」

会場内からは何の反応もない。

「今日、ここにいらっしゃった皆さんには改めてこのコミュについて説明する必要はないかと思います。このコミュはまだ宣伝のようなことはしていません。みなさんは自身でネットで我々コミュのことを調べて、考えて、判断して行動しここに来ました。わたしはその皆さんの行動に敬意を示します。」
「本日、皆さんのその勇気ある行動を讃えさせていただくのは私とこちらの岩崎と空閑です。本日は15名の方が参加されているようなので、5名づつ3班に別れてお話しましょう。」

参加者は3つのグループに分かれた。

「改めまして仁川と申します。本日この班の補佐役を務めさせていただきます。このコミュでは人の話に否定的な意見は禁止です。もしもそう思ったとしてもそれは絶対に口にしないで下さい。そのような言動があった時点でその方は退場となります。」
「質問いいですか。」
「はいどうぞ。お名前は。」
「朝戸といいます。」
「どうぞ、朝戸さん。」
「否定的な意見を言ったらだめだとなると、絶対的に発言の機会は少なくなると思います。」
「どうしてですか。」
「誰も他人を称賛することを進んでやりません。」
「私は称賛せよとは言ってません。相手を否定するような発言は厳に謹んでくださいと言っています。」
「具体的にお願いできませんか。」
「例えば私がAちゃんというアイドルの素晴らしさを熱弁したとします。しかしあなたはAよりも同じグループのBちゃんのほうが推しメンだ。そこであなたが私の言葉を引き合いに出してAの比較としてBのほうが優れていることをプレゼンするとアウトです。ですがあなたがなるほどAはそんないいアイドルなんですねと受け入れて、私はBの素晴らしさを語ろう。というスタンスのものであれば良いでしょう。」
「その判定はだれがどうするんですか。」
「それは我々運営側がします。我々は皆さんの議論には基本的に立ち入りません。」
「コミュは悩みを持った者同士が話し合って解決する場と思って来たんですが、仁川さんの話を聞く限りですと、議論によって何かを解決するというのではなくって、とにかく自分の意見を言ってそれに賛同してもらう場所ということですね。」
「端的に言えばそういうことですか。」
「なるほど。それでは自分が求めていた場所とは思えません。」

そう言うと朝戸は席を立った。

「待って。」

仁川が朝戸を呼び止めた。

「体験もせずに決めつけでこの場を去るのでしょうか。」
「はい?」
「朝戸さんの今の発言は思い込みによって導き出された結論です。あなたはまだこのコミュという場を体験していません。それなのに決めつけで結論を出される。議論によって何らかの解決法を導き出すことをあなたはお求めのようですが、実際のところ議論からお逃げになってらっしゃるように見えます。」

朝戸は何も言えなくなった。

「どうでしょうか朝戸さん。体験されてからでもいいじゃないですか。その発言は。体験しても今と同じ考えであれば、あなたにはこの場所が合わないということですから、ご自由にされればいい。」
「途中退場もいいんですか。」
「もちろん。」

朝戸は再び席についた。

「じゃあはじめましょうか。みなさん。」

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同じ班の5名が自己紹介をしたところで仁川は10分間の休憩をとった。
流石に全員が初対面であるので、それだけで打ち解けることはない。
銘々がタバコを吸いに行ったり、飲み物を買いに行ったりと散り散りになった。
光定はひとり席に座って携帯を触っていた。

「光定さんだっけ。」
「あ…。」

朝戸が光定に声をかけた。

「無理に話さなくていいよ。気にすんなって。話すの苦手なんだろ。」
「そ…そう…。」
「でもすげぇよな。それなのにこんなお話合いの場所に来るなんて。あんた肝っ玉座ってるね。」
「そ…んなこ…とな…い。」
「鼻どうしたのよ。医者のあんたに俺が言うのも何だけど、ちゃんと見てもらったほうがいいぜ。」
「う…。」
「う…だって。」

朝戸は光定を見て笑った。

「なんかうさんクセェとこだって思ってたけど、意外とあれだね。」
「あ…れ…?」
「ああ。いろんな人のいろんな考え聞いて、とりあえず全部受け止める。一回受け止めてから考えて相手を否定しないように発言する。自分の意見を相手に受け止めてもらうには、相手が納得するように発言しないといけない。難しいよこれ。忍耐力と頭の回転が鍛えられる。」
「…。」
「俺が弱いところを補ってくれそうだ。ついつい俺カッとなって決めつけで動いてしまうとこあるからさ。」
「はじめから…とばす…人だって…ヒヤヒヤした。」
「お。光定さん。ちょっとスムーズなんじゃないの。話し方。」
「え…そう…かな。」
「おう。そうだって。ってかはじめから飛ばすって、おもしれぇこと言うね。」
「ありがとう…。」
「すげぇな…確実に良くなってるよ話し方。すげぇなコミュ…。」
「そうだね…。」
「もう完璧だよ!やったなー!」

朝戸は光定の肩を掴んで、彼を前後に揺らした。

雨音

「ありがとう…慶太…。」

窓から見える雨は止みそうもない。
手にしていた携帯電話に目を落とすと空閑からの返信が届いていた。

ため息

光定は天を仰いで目を瞑った。

「だよね…。そうだよね…。」

このときの彼の頬に伝うものがあったのは、彼以外の誰も知らない。

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