第52話 前半



8年前

雨音
車が走る

「空閑くん。今週末のコミュの参加者は?」

後部座席に座る男がハンドルを握る空閑に尋ねた。

「10名程度と聞いています。」
「村井が言ってたの?」
「はい。」
「そう…じゃあ7名だね。」
「え?社長どういうことですか?」
「彼はちょっと数字を盛る癖があるから。」
「…確かに。」
「まぁでも着実に定着してきてるからいいんだけど。」
「はい。まだまだ小さな所帯ですが、定期的に開かれるコミュは安定的な参加者を確保しています。時間が経てばそのうち大きくなりますよ。」
「そうだね。」
「なんてったってこっちには社長とバギーニャが居ますから。」
「僕はどうってことはないさ。バギーニャの力によるところが大きいよ。」

携帯電話が鳴った。

「おつかれさまです。仁川です。」
「やっちまったぞ。」
「なんですか?」
「おまえんところから派遣されてるSE。石大病院のシステム開発中にバックレた。」
「え…。」
「うちの主力チームの一員なんだよ。優秀なやつだったから結構な割合で仕事任せてたらこれだ。」
「申し訳ございません。」
「…いいよ。とにかくすぐ代役を派遣してくれないか。」
「代役ですか…。わかりました。とにかく私が現場に入ります。」
「え?そんなことはしなくていいよ。」
「代役はそんなに簡単に用意できません。それまでは私がつなぎで行きます。」
「お前が現場に入ったら会社が回らない。それはやめろ。」
「メディカルさんには迷惑をかけません。スタッフでこのトラブルは処理します。」
「だからそれはやめてくれ。あくまでも石大病院とドットメディカルの契約だ。そこにスタッフのお前が割り込んでくるとかえって話がややこしくなる。」
「いえ。やります。」

後部座席に座っていた男は携帯を切ってため息を付いた。

「メディカルの今川さんですか。」
「あぁ…。」
「…どちらに向かいますか。」
「石大病院。」
「わかりました。」

ハンドルを握っていた空閑は進路を変えた。

「うちのスタッフがやらかしたんですか。」
「ばっくれた…。」
「あらら…。」
「おかげで病院のシステム開発が滞ってる。メディカルも病院もカンカンさ…。」
「で、社長が自ら石大に行って、そのバックレた奴の代わりに仕事をするんですか。」
「僕がSEなんか専門的な仕事ができるわけ無いだろ。」
「じゃあ…。」
「謝りに行くだけさ。クレーム対応にはスピードが大事。とにかく責任者が現場に乗り込んでとりあえず謝る。で、時間稼ぎしてる間に原状回復。原因究明と対策は後。」
「ドットスタッフの社員を使用するのはドットメディカルです。そのドットメディカルがお客さんである病院の仕事でヘマした。だったらメディカルがケツを拭くのが筋でしょう。」
「今川さんもそう言ってくれた。」
「だったら…。」
「でもウチはメディカルの子会社。親会社あってのドットスタッフ。親の顔に泥を塗るようなことはできない。」
「忖度ですね。」
「そうだよ。忖度だ。」
「心中お察しいたします。」

しばらくして空閑が運転する車は病院に到着した。

「どんだけ拘束されるかわからんな…。」
「社長。自分は。」
「そうだな。空閑、君はこのまま引き上げろ。俺は別の方法で帰る。」
「そんな自分だけ帰るなんて…。」
「だっていつ終わるかわかんないんだ。無駄だろ。」
「あ、だったら週末のコミュの段取りしておきます。村井さんと。」
「気が利くね。」
「これくらいしか気が回りませんが。」
「十分さ。」

車を降りた仁川は病院の中に吸い込まれていった。
ダッシュボードに表示される時刻は16時だった。

「このまま引き上げろって…。そんなことできるわけないじゃないですか。」

車を病院の駐車場に移動し一旦駐車した空閑はシートを倒して仰向けになった。
何の面白みもない車の天井が、彼の目の前にある。

「ったく…なんでウチの社長がケツ拭かないといけないんだって…。」
「悪ぃのはメディカルのほうだろ。ウチのスタッフこき使い過ぎなんだよ。バックレるってよっぽどだよ。」

体を左側に傾けると先程まで仁川が座っていた後部座席が目の前にあった。
ドアポケットと一緒に装備されたドリンクホルダーに空のエナジードリンクが刺さっていた。

「社長。あんまり無理しないでくださいよ。あなたが倒れでもしたらこんな不景気な状況で自分らみたいな不安定な身分にある人間はどうしようもありませんよ。たちまち路頭に迷うことになります。あなたのおかげなんです。俺らみたいな社会からあぶれた人間が生きていけるのは。」

「あれ?」

シートの座面、後帯あたりに紙のようなものが挟まっていることに気がついた。

「なんだこれ。忘れ物か?」

抜き取ってそれを見た空閑は体が硬直した。

「どういうことだ…これ…。」

彼が手にするものは写真だった。
青々とした大空の下に建つ煉瓦造りの建物を背にした四人の肖像である。

「この子…。社長にそっくりじゃないか…。家族写真か…。って言うとこの車椅子に座ってるのが社長の母ちゃんでその横の男が父ちゃん。ってか…これどこなんだ…。抜けるような青空、レンガ造りの質素な家。日本には思えない…。え…待てよ…この横の女の子…。岩崎…?」

空閑は慌てて身を起こした。
そして自分の携帯に入っているコミュの集合写真を表示して、それと手にする家族写真を見比べた。

「似てる…。今の岩崎、この女の子の面影が残ってる…。って言うと…まさか…仁川社長と岩崎は…兄弟なのか?」

雨音
携帯の音

「はい。空閑です。」
「仁川です。いまどこ?」
「あ、駐車場に車停めてます。」
「まだ居るんだ。」
「言ったじゃないですか。村井さんとコミュの調整するって。」
「そうだったね。」
「ひょっとして終わったんですか。」
「ああ。とりあえず収まった。」
「早かったですね。よかった。」

ドアの音

「お疲れさまです。」
「あぁ疲れた。」
「首尾よく行きましたか。」
「どうだろう。とにかく五体投地で謝ったら、スタッフの社長がそこまでする必要ないって感じになって、なんとなくうまく行ったよ。おかげで専門外のSE仕事をやらなくて済んだ。」
「誠意が伝わったってわけですか。」
「さぁどうだろう。まぁとにかくメディカル側の怒りは消えた。それだけで今のところは良しとしよう。」
「次は原因究明と対策ですね。」
「原因はわかってるよ。」
「…派遣社員の酷使ですか。」

仁川はうなずいた。

「正社員と同じ仕事を彼らよりも遥かに安い給料でやってる。釣り合わないんだ給料と仕事が。」
「それに気がついたら派遣なんてアホくさくなりますよね。」
「ああ。張り詰めていた糸がぷつんと切れる感じか。急にアホくさくなる。なにもかもが途端にどうでも良くなる。」
「で、バックレる。わかりますよその気持ち。」

空閑と話しながら後部座席の座面を手で弄る仁川の姿を空閑はルームミラーで確認した。

「これですか。社長。」

空閑は写真を仁川の前に差し出した。

「…。」
「社長ですよね。この男の子。」
「…そうだ。」
「この横に立ってる女の子。これ…。」
「岩崎だ。」

あっさりと認めた仁川の反応に、空閑は肩をすかされた思いになった。

「僕と岩崎はこの写真の通り、実は兄弟さ。」
「…どうして他人のふりを。」
「この写真見て変だと思わなかったか?」
「変とは?」
「背景に映る景色はどうみても日本じゃない。」
「…はい。」
「ツヴァイスタンさ。」




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