第60話



「お客さん…警視庁の正面って、本当に正面ですか?」
「本当に正面ってどういうこと?」
「ほらあすこ正面に鉄柵してあったり警官が立ってたりで中に入れない感じになってるじゃないですか。」
「あったりまえじゃん。帝都の治安を司る警視庁だよ。警備は厳重さ。」

タクシー運転手は右手に見えてきた皇居外苑の姿に目をやった。

「そんなガチガチんところに俺が運転するタクシーなんかがしれっと横付けなんて本当にできるんですかい?」
「なに言ってんの?俺の勤め先だよ。会社だよ会社。従業員がやむなくタクシーで通勤することになっただけ。」
「はぁ…。」
「ビビってないで堂々とズザーッって突っ込んで。重役の到着って感じでさ。」

築地方面から走ってきたタクシーは桜田門の交差点前まで来た。テレビなどでよく見る台形の警視庁の建物がそびえ立っている。その正面では鉄柵をいそいそと動かして通路を開けている警察官の姿があった。

「そのまま左に曲がって。」

言われたとおりタクシーは交差点を曲がる。

「赤レンガの前でUしてそのままその通路から入って。」

運転手は言われたとおりに車を操り、警官が立つ通路に滑り込んだ。
百目鬼は窓を開け鉄柵は開いた警官に敬礼する。すると彼もそれに敬礼で応えた。

ーこのあんちゃん…いったい何者…

正面玄関前に到着するとそこには3名の背広姿の男たちが立っていた。

「ありがとさん。そこに立ってる奴からタクシーチケットもらってくれる?」
「あ、はい…。」
「じゃあね。ご家族によろしく言っといて。」

そう言うと百目鬼はタクシーを降りた。

「お疲れさまです。お待ちしていました。」
「うん。班長どこで油売ってんの?」
「どうも今は上野のほうにいるみたいです。」
「上野?そんなところで何やってんのさ。」
「わかりません。」
「ふうん…。ちょっと特高部屋に寄らせてくれる?」
「はい。」

運転手は警視庁の中に吸い込まれていく百目鬼の姿を見つめた。

「いくら?」
「3,220円です。」

運転席の横に立つ背広姿の男が小さなチケットのようなものに何かを書いている。

「記載はかかった料金だけで結構です。」
「分かってる。」

ミシンでちぎられた小さなチケットを運転手は窓越しに受け取った。

「30分後、東京駅の八重洲口で待ってるよ。」
「え?」
「あすこのタクシー乗り場にいてくれ。用がある。」
「ちょ…ちょっと…。」
「分かったな。」

瞬間、この運転手は途轍もない威圧を感じた。
男の低い声がそう感じさせているのではない。
そう、彼の背後にそびえ立つ建物が運転手に有無を言わせない感覚を抱かせたのだ。

「は…はい…。」

男は運転手の肩を軽く叩いて警視庁の中に消えていった。

扉を閉める音

「どうなの。あれから。」
「はい。ノビチョク事件はツヴァイスタンの仕業であると触れ回っている出本の特定は、消えるSNSのプログラムを流し込まれていることが原因で難航しています。」
「難航?ってことはどうにかすれば特定できるってこと?」
「当初はそう思っていたのですが…。」
「じゃあ無理ってこと?」
「可能性から言えばそちらのほうが濃厚です。」
「だったら変に期待持たせるような言い方はしないでくれる?」
「すいません…。」
「じゃあIT担当はいまなにやってんの?」

百目鬼は片倉の椅子を引いて、そこに腰を掛けた。

「デマらしきものを発見次第、それの出本を追うというアナログ対症療法をしています。」
「それって鬼ごっこ的なこと?」
「はい。」
「じゃあ新宿のあれは。」
「あのヤマは捜一に移管されていますが…。」
「現場にいたのは特高だよ。捜査の進捗ぐらいは把握してるでしょ。」
「はい。」
「じゃあ報告して。マル被の情報は。」
「河南昭栄(かわなみしょうえい)42才。神奈川にある工場で働く派遣社員です。勤務態度は至って真面目。同僚、上司からの信任も厚い模範的な人間のようです。周辺でなにかのトラブルを抱えているような様子もなく、ごく普通の一般市民です。」
「かわなみしょうえい…。どんな字書くの?」
「さんずいに可能不可能の可。東西南北の南で河南。昭和の昭に栄えるで昭栄です。」

百目鬼は机の上の片倉のパソコンを使って、その名前を打ち込む。
すると画面に河南昭栄の個人情報が表示された。

「なるほど。ごく普通の一般市民だ。変だね。」
「はい。理事官のおっしゃるとおりです。変なことが起こっています。」
「どういうこと?」
「捜一によるとこの河南は犯行時の記憶が殆どないとのこと。」
「え?犯行時の記憶がない?」
「はい。気がついたらパトカーに押し込められていたとか。」
「なんだよ…それ。」
「記憶がないとのことで当然、犯行に至った経緯などもさっぱりという感じらしいです。」
「おいおい…。じゃあ例のぶつくさ言ってたあの言葉については。」
「ぶっ壊せとかぶっ潰せって話ですか。」
「うん。」
「それもよくわからないと。」
「へぇ…ってことは事実上マル被はカンモクってことだ。」
「はい。」
「捜一はこれからどうするの?新宿のヤマは。」
「頭を抱えています。」
「やれやれ…でしゃばって来る割に、すぐに行き詰まる。馬鹿か。」

百目鬼のこの言葉に男はあえて反応しなかった。

「記憶にない…。」
「はい。」
「やっぱ馬鹿だ。捜一は。」
「はい?」
「記憶がおかしい事例はすでに捜一は掴んでいるはずなのに。」
「え?理事官?」
「なるほど…ここが我々警察のボロいところか。」
「すいません。理事官。何をおっしゃってるのか…。」
「あ、いいんだ。独り言さ。」
「いや、もし差し支えなければ教えてくれませんか。」
「なんで?捜一のヤマだろ。あいつらに助け舟出してやる必要ないじゃん。」
「自分、捜一のネタ、裏から引っ張ってるんです。多少の餌があればこれからもおもしろいネタ、新たに引っ張ってこれるかもしれません。」
「(ヾノ・∀・`)ムリムリ ほっとけよ。あの脳筋集団。」
「…そうですか。」
「まぁ…でも捜一の動きを知っておくことは、マルトクにとって悪いことじゃないな…。」
「自分はそう思います。」
「いいね。君、名前は。」
「紀伊と申します。」
「役職は。」
「主任です。」
「歳は。」
「43です。」

百目鬼は紀伊の姿を改めて見つめた。

「その歳で主任。ノンキャリか。」
「はい。」
「優秀だね。」
「ありがとうございます。」
「じゃあヒントあげる。主任なりに考えて答えを見つけてみて。で、分かったらあの脳筋集団にチラつかせてみてよ。きっと(;^ν^)ぐぬぬ…って反応示すと思うよ。」
「(;^ν^)ぐぬぬ…ですか…。」
「うん。」
「で。」
「石川。」
「石川?」
「うん。後は主任の方で考えてみて。」
「え?それだけ?って…自分でわかるんですか。そのヒントだけで。」
「さぁ。」
「そもそも石川って何のことですか。」
「班長の出身地さ。」
「あぁ石川県ってことで。」
「うん。」
「新宿のヤマと石川県が何らかの関連性があると?」
「あのさ言っとくけど、あくまでも私見だからね。この私見の裏取るのは主任の方でやってみて。で、ものになりそうだったら捜一にぶつけてみてよ。」
「は、はい…。」
「で、その当の班長なんだけど。」

百目鬼は立ち上がって片倉の席の周りをうろうろしだした。

「困るんだよね。こうも離席が目立つと。」
「…。」
「紀伊主任。君も困るでしょ。」

紀伊は口をつぐんだままだ。

「何かと成果が出ていない特高にどうにか結果をもたらしたい。その一心で新宿のヤドルチェンコ警戒。しかし喫茶店の店員にピンクデータ渡しただけ。おまけに対象ロスト。散々な結果の上、班長不在でその後始末。」
「…自分は何も思っていません。班長は班長の考えがあってのこと。」
「片倉班長がしんどいときは自分らが支えるって考えは立派だけど、それ逆に仇になってない?」

「それにしても班長どうしたんですかね。」
「班長?」
「ええ。ここ数日なんかパッとしませんよ。」
「…そりゃ東倉病院とか池袋のやつとか立て続けだしな。」
「石川から鳴り物入りで特高班長だから、はっきり言ってどんだけ優秀なんだよって微妙な感じでしたけど、ここまでパーフェクトゲーム。でもここにきてガタガタって…。」
「愚痴っても何もならん。それを支えるのが俺ら部下の務めだろ。班長がしんどいときは俺らで…」33

「…どうしてそれを。」

紀伊の耳元に自分の顔を近づけて百目鬼は囁いた。

「一応、特高の監督者だからさ。俺。」

紀伊の背筋に冷たいものが流れた。
この百目鬼という一見ちゃらんぽらんな男、何をどこまで把握しているのか。
彼は言葉を発することができなかった。

「主任の自己犠牲の精神は立派だ。部下の鏡だよ。けどね。人間、班長みたいな人間ばっかりじゃないんだよ。現に、君の部下から僕は片倉班長に関する苦情を聞いている。あぁご心配なく。君がいま思い浮かべている人物以外からも。」
「なんてことに…。」
「上司を思いすぎるために部下をないがしろにするのは良くないよ。紀伊主任。」
「は…はい。」
「いい?僕は困ってるの。片倉班長に。」
「…。」
「だから君にヒントをあげたんだ。特高を頼むよ。」
「じ…自分は…。」
「なに?」
「自分はノンキャリです…。」
「そうだね。」
「ノンキャリの自分が、班長を差し置いてそんな差し出がましいことは…。」
「何言ってんの?片倉班長もノンキャリだよ。」
「あ…。」

百目鬼は紀伊の肩を軽く叩いた。

この記事へのコメント