第68話



「ねぇ。本当に曽我のやつ、マンションの中に入ったの?」
「入りましたよ。この目でちゃんと見ました。」
「だったらヤバいかも。」
「え?ヤバいって?」

パンを食べていた神谷はそれをコーヒーで流し込んだ。

「すいません。なんでヤバいんですか。」
「だって電気つかないし。」
「寝てるのかもしれませんよ。」
「そうだと良いんだ。そうだと。」

神谷は双眼鏡を覗き込んだ。街灯の明かりが曽我が住む部屋のベランダを辛うじて照らしている。
部屋には明かりがついていない。

「マンションの中に入るときの曽我の表情とか覚えてる?」
「表情ですか?」
「うん。例えばなんか落ち着きがなかったとか、ソワソワしてたとか、顔色が悪かったとか。」
「そんなこと言われてみると…それ全部該当するような気がするんですけど。」
「そう…。」
「あの…ヤバいってどうヤバいんですか?」
「曽我、後ろ見たりとかしてた?」
「え?後ろですか。」
「うん。誰かが付けてるんじゃないかとか気にしてたようなことは。」
「えっと…付けてるかどうかは知りませんけど、たしかにそういう素振りは見せていました。」
「よし。ちょっと俺行ってくる。」

そう言うと神谷は車から降りた。

「ちょ…神谷さん。俺はどうすれば。」

窓を開けた雨澤は神谷に声をかける。

「雨澤くんはここで今まで通り曽我の家見張ってて。で、なにか気になることがあったらすぐに俺に連絡くれるかな。」
「気になるって…。」
「なんでもいいよ。何か変だと思ったらすぐ俺に連絡して。」
「わかりました。」
「じゃ。」

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神谷は曽我の住むマンションの入り口に立った。
上質な作りの玄関扉が関係者以外の侵入を拒む。
扉の前に立つとそれは開かれたが、すぐそこに暗証番号を入力するキーがあった。ここに暗証番号を入力して初めて中に入ることができる。ここは風除室か。
神谷は一旦外に出た。
そして近くの茂みに身を潜めた。
ものの3分ほどでひとりの妙齢の女性が買い物袋を腕に下げて現れた。

ー住人か。

茂みから姿を表した神谷は携帯を触りながらうつむいた状態で彼女に続いた。
マンションの玄関扉が開かれ、彼女はそこに吸い込まれる、神谷もそれに自然なかたちで続いた。
女性はいつものようにテンキーを操作し暗証番号を入力する。するとそれは開かれた。
瞬間、神谷は顔をあげた。彼女と目があった。
神谷の様子を見た彼女は直感的に彼のことをマンションの住人だと判断したのだろうか、ニコリと笑みを浮かべて神谷にも一緒に中に入るよう促した。

「ありがとうございます。」

彼女はいいえと言って郵便受けの方へ姿を消した。
神谷はそのままエントランスからロビーへと進み、エレベータの中に入ることに成功した。

「スマホに夢中な30代のITリモートワーカーって設定成功。」

神谷は曽我の住む3階のボタンを押し、スマホに目を落とし続ける。
目的階についたエレベータは神谷をそこで降ろした。
彼は相変わらずスマホの画面を見たままだ。
315と番号プレートが貼られた部屋の前まで来て、神谷はそれをしまった。

ー明かりがついていない…。

玄関扉横の部屋の磨ガラスは真っ暗だ。明かりのようなものは一切漏れてない。

ー帰ってきて、本当にそのままガン寝してんのかな…。

神谷は玄関扉に目をやった。高級マンションにふさわしく、木目調の扉に黒い金属の取っ手のようなものが付けられている。どうやら壁に設置された端末に暗証番号を入力すると、鍵が開かれ、その金属部を手前に引くと扉が開く仕組みのようだ。

ーあれ?

神谷の視線はその黒い金属製のドアノブで止まった。

ーこれ…妙にピカピカしてる…。なに?ひょっとしてガラスコーティングとかしてあんのかな…。
ー待て…。だったら指紋が多少残ってないとおかしい…。
ーまさかいちいちドアノブ布かなんかで拭いて指紋消すとかしないだろうし…。」
ーえ?指紋消す?

神谷はその場で電話をかけだした。

「あ、もしもし。社長。」
「あの…曽我の家電教えてくれませんか。」
「ヤバいかもしれません。」

電話を切って20秒。江國からメールが入った。神谷はそこに書かれている番号をタップした。

携帯から聞こえる呼び出しと部屋の中から聞こえる呼び出し音

ー応答なし…。

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雨澤はタバコを咥えてそれに火をつけた。

「ふーっ…。」

雨澤の目に映る曽我の部屋に相変わらず明かりが灯る兆しは見えない。

「帰ってきて電気つけないってそんなに不自然かなぁ…。俺なんか帰って飯も食わずにすぐに布団の中はいってガン寝ってあるけどなぁ。…あれ?」

雨澤は双眼鏡を覗いた。周囲の街頭の明かりを頼りに見える曽我の部屋の様子はほとんど何も見えない。

「あの部屋窓…空いてないよな…。」

彼は運転席の窓を全開にした。そして人差し指を舐めてそれを外に出す。

「風もない…。気のせいか…。」

雨澤は双眼鏡をしまった。
その時である、前方20メートルほど先にパーカーのフードをかぶった男の姿が見えた。

「最近、あの手の格好のやつ見るよなぁ…別に寒くもないんだけど普段からフード被ってる奴。ヒップホップとかの影響なのかな。」

ふとこの時雨澤の脳に先程の神谷とのやり取りが再生された。

「マンションの中に入るときの曽我の表情とか覚えてる?」
「表情ですか?」
「うん。例えばなんか落ち着きがなかったとか、ソワソワしてたとか、顔色が悪かったとか。」
「そんなこと言われてみると…それ全部該当するような気がするんですけど。」

「落ち着きがない…。」

フードをかぶった男はそれとは対象的に堂々としている。

「ソワソワしてる…。」

むしろ泰然自若といった表現が適切だ。

「顔色が悪い…。」

サングラスと口ひげに目がいってそれだけは判別できなかった。

「何か…あいつ気になる…。」

そう言うと雨澤は車から降りた。そしてそのパーカー男の後を付け始めた。

「なんだろう…不自然なんだよ…。俺別に何も怪しくないぜって敢えて言ってる感じがするんだ、あの出で立ち。」

「雨澤くんはここで今まで通り曽我の家見張ってて。で、なにか気になることがあったらすぐに俺に連絡くれるかな。」
「気になるって…。」
「なんでもいいよ。何か変だと思ったらすぐ俺に連絡して。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーすぐにずらかろう。

神谷は踵を返してエレベータの前に立った。

携帯震える音

「はい。」
「神谷さん。」
「どした。」
「気になる奴いて…。」
「気になる奴?」
「はい。」

エレベータが到着した。中には男ひとりががすでに立っていた。

「どんな奴?」

こう言って神谷は中の男と目を合わせないようにそれに乗り込んだ。

「パーカーの男です。具体的にどう気になるかって言われても自分、よく分からいんすけど、何か妙に引っかかって…。神谷さん?大丈夫ですか?聞いてます?」

彼は咳払いをした。
雨澤は何かを悟ったのか、言葉を続けた。

「フードかぶってサングラス。いわゆるヒッピホップ系ですね。ただ何かが引っかかるんすよ。…たぶんあれですよ。クセェってやつ。デカの勘的な。」

1階に到着してエレベータの扉は開かれた。神谷はそそくさとそれから出てマンションの外に出た。

「ふっ…デカの勘?お前いつからデカになったんだよ。デカ…。」

刹那神谷の背中に冷たいものが流れた。

「人通りはどうだ。そこの。」
「ないですね。ってかどうしたんすか。急に。」
「近くにコンビニは。」

足を止めて雨澤は周囲を見回す。50メートルほど先にコンビニの看板が光っているのが見えた。

「あ、ありますよ。」
「そこに走れ。」
「え?なんで?」

こう言った瞬間、雨澤は異変に気がついた。
さっきまで付けていたはずのパーカー男の姿がなくなっていた。
そして背後に得も言われぬ不気味な感覚を覚えた。
動けない。なにがそこにあるのかわからない。しかし自分の身に危険が迫っているのは本能が理解している。

「ダッシュ!。」
「へ?」
「ダーッシュ!」

この神谷の声が背中を押したのか、彼はなりふり構わぬ様子で駆け出した。

「声出せ!」
「え!?」
「ピーとかキャーとかなんでも良いから声出せ!」
「何いってんですか!そんな事やったらただのキチガイじゃないですか!」
「ピー!」
「アホですか!?馬鹿ですか!?」

コンビニの音

「はぁはぁはぁはぁ…。」

コンビニの店員が奇異な目で自分の事を見ているのがビシビシと伝わってきた。
雨澤は軽く咳払いをした。

「どうしてくれるんですか。神谷さん…。これ十分な事案ですよ。って…。」

店の外にフードをかぶった男とスーツを着たサラリーマン風の男が一緒に歩いていた。
彼らふたりはコンビニで息を切らす雨澤を一瞥し、表情のままその場から立ち去った。
その様子を見て雨澤は膝から崩れ落ちた。

「俺…ヤバかったんだ…。」

奇声を発して店に駆け込み、そこに崩れ落ちる男の出現はコンビニの中に不自然なほどの静寂をもたらしていた。

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