第70話



東京六本木。
夜のここを行き交う人々は多国籍であり、外国かと錯覚させる程である。
この雑踏をひとりあるく白人男性がいた。

「Вы все сделали?」 全部終わった?
「Сога закончилась.」曽我の件は終わりました
「Только сога?」曽我の件だけ?
「Да.」
「Что ты имеешь ввиду.」だけって…どういうことだ
「У меня проблема.」問題が発生しました
「Проблема?」問題?
「Кажется, наше существование известно.
За мной следили.」我々の存在は察知されているようです。尾行されました。
「Стереть это.」消せ。
「Он не смог.」失敗しました。
「Неудача?」失敗?
「Да да」はいそうです
「Что это за человек?」どんなやつだ。
「Я думаю это полиция.」警察関係でしょう。
「Ты прячешься.」お前は身を潜めろ。
「Да.」

携帯を切ったこの白人男性はコンビニに入った。
そしてそのままトイレに向かった。
中に入ると洋式便所がある。その上部には据え付けの棚があり、予備のトイレットペーパーや消臭剤が置かれている。
彼はその棚の底のあたりを手で弄ると、指に何かが引っかかった。
テープで貼り付けられているそれを剥がし取ると、それはSIMカードであった。
そのSIMカードをいま使っていた携帯電話に差し込んで、彼は電話を操作し始めた。

「はい。だからこの壬申の乱は白村江の戦いの敗戦処理な意味合いと同時に、大海人皇子と大友皇子、天智天皇のどろどろの愛憎劇があるわけなんですね。」

机の上に置かれた空閑の携帯電話が震えると同時に液晶にテキストが表示された。

「じゃあ、ここで一旦休憩。10分後壬申の乱の詳しい説明するね。」

そう言って空閑は携帯を持って一旦席を外した。
ビルの廊下の壁に背中をもたれて彼は携帯電話を操作し続ける。

「Сога дело завершено.」曽我の件は完了した
「Спасибо.」
「У меня проблема.」問題が発生した
「Проблема?」問題?
「Полиция движется.」警察が動いている
「Полиция?」
「ミッションは完了したが、直後に警察に感づかれたようだ。すぐにでも曽我の部屋に捜査が入るだろう。」
「公安か?」
「俺はそのあたりの警察組織のことはわからん。どうなんだ。日本の警察はこっちの事をどこまで把握してるんだ。」
「どこまでってどういうことだ?」
「今回のミッションにはウ・ダバに入って比較的日の浅い人間を使った。なのにあいつらはその人間をマークして尾行した。」
「なんだって…。」
「これってどういうことだ?ビショップよ。」

空閑は返信の手を止めた。

「…ヤドルチェンコ。あんたはどうやって今回のミッションの人選をしたんだ。」
「ウ・ダバに丸投げさ。こいつとこいつを使えって具合に連絡をうけた。」
「だとすると…。」
「やっぱりあんたもそう思うか。」
「ウ・ダバの中にスパイがいる。」
「Дерьмо!」
「いや。まて。それはない。」
「おいおい。どういうことだ?」
「それだったらウ・ダバの中にいる警察のスパイが曽我の殺害を未然に防ぐように動くはず。」
「確かに…。」
「なんだろう…理解ができない。」
「ビショップ。」
「なんだ。」」
「三重スパイってのもある。」
「三重スパイ?」
「警察のスパイであるツヴァイスタンのスパイみたいな存在のウ・ダバの構成員。そいつがまた別の組織に情報を売り渡す。三重だけじゃなくて四重ってのも。」
「まてよ。そんな事言ってたらキリがないぞ。」
「諜報の世界は複雑怪奇だ。」

空閑はため息を付いた。

「…だったら今しかないってことか。」
「どうした?。」
「ビジネスの話をしようか。」
「なんだ?俺は今回の曽我の件でヘマしたぜ。」
「だからここで取り返してほしい。」
「ふっ…わかった…。」
「素人でも使いやすい、派手目な武器を用意してくれ。」
「…なんだそれは。」
「具体的な事はわからん。クライアントからのオファーだ。」
「派手めと言っても、それは人によって感覚が違うと思うんだが。」
「使用した結果、随分と酷い有様になるって感じでいいと思う。」
「ビショップ…。あんた武器関係については素人だな。」
「なんだ?」
「この間のノビチョクを思い出せ。その効果は限定的だったろう。」
「ああ。死亡1名。だがサリン事を彷彿させ、人々を恐怖に陥れることができた。」
「恐怖に陥れることができた?それは本当か。」
「どういうことだ。」
「確かにサリン事件を彷彿させたのかもしれん。しかしそれは一時的なもの。その恐怖はいまも持続してるか。」

携帯入力する空閑の手が止まった。

「ツヴァイスタンの犯行だとSNSで話題になったが、あとに続く妙に多発するテロ事件。こいつにすでにかき消されてないか。その恐怖とやらは。」
「…。」
「あのときお前が日本人に恐怖を与え続けることを目的にした武器を用意してくれと、正直なオファーを出してくれていたら、俺はノビチョクという化学兵器を提供するのではなくそれを使ったソリューションを提示していた。」
「ソリューション…。」
「ああそうだ。兵器の使用難度と効果として得られる結果は比例する。ノビチョクという化学兵器は使い方によって、相手に多くの損害を与え、恐怖心を植え付けることができる。だがあのときあんたはあれに使い勝手なんか求めちまった。結果注射器に仕込んで少量だけ使うってもんだった。使用難度を極端に下げたため、結果はご存知のとおりだ。」
「…。」
「いまあんたは再び俺に同じようなオファーを出そうとしている。本当にそれでいいのか?」
「…。」
「ビショップ。お前は何をしたいだ。何を得たいんだ。俺はお前が望む結果を与えることができる。」

「先生ー。時間ですよ。」

塾の生徒が廊下に立つ空閑に講義の再開を催促した。

「あっおう。もうちょっと待ってくれない?テキスト先に読んでてくれるかな。」
「あ、はい。」
「あと5分だけ。」
「わかりました。」

「少ない戦力で大きな戦力を撃破する。」
「大きな戦力?なんだそれは。」
「警察だ。」
「警察…。ってことは政府だな。」
「そうだ。」
「どこで使うんだ。おまえが求めるその武器は。」
「金沢。」
「いくら出せる。」
「10万ドルでどうだ。」
「足りない。」
「なぜだ。十分だろう。」
「派手になる仕掛けを施す。人手がいる。」
「20万でどうだ。」
「諦めてくれ。」
「50万。」
「十分だ。」
「今度はしくじるな。」
「任せてくれ。ウ・ダバの精鋭を送り込む。」
「スパイの件は大丈夫か。」
「問題ない。今度は俺が選抜する。」
「週末までに用意してくれ。」
「Оставь это мне.」任せてくれ。

スマホの画面にチャット形式で流れるヤドルチェンコとのやり取りは順次消失し、最終的にはそれは跡形もなく消えた。

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病院の職員トイレ。
その手洗い場で電話をする光定がいた。

「もしもし。どうしたの?」
「任務完了。」
「そう…。首尾よく行った?」
「曽我の件は…な。」
「…なにか良くないことでも起こったような声だね。ビショップ。」
「あぁ。ちょっとまずいことが起こってさ。」
「なに?」
「警察が動いているみたいなんだ。どうも。実行部隊が一時尾けられた。」
「…。」
「おい。クイーン聞いてる?」
「うん聞いてるよ。で、曽我は殺せたんだね。」
「あ、あぁ。」
「それなら良いんだ。」
「あ、そうか。」
「うん。とりあえず今はあれが外に出ないようにすることが最重要だから。」
「そ、そうだな。ってかクイーン。随分と冷静だな。」
「そう?」
「うん。」
「話し方もいつもと違うし。さっきから…。」
「あぁこれ。なんだろうね。自分でもよくわかんないんだ。」
「まぁ…よかったな。」
「…ありがとう。」
「あ、そうだ。小早川がそちらに早く行きたがってるそうだよ。」
「あぁドクター小早川ね。」
「その件は頼むよ。」
「任せて。」

電話の先の空閑が黙った。

「どうしたの。」
「あ、いや…。」
「早くしないといけないよ。」
「え?」
「早くしないと…。曽我を消したのは時間稼ぎ。いずれ警察は僕の所まで来る。そうなる前にやらないといけないよ。」
「クイーン…。」
「時間はない。変な気遣いはいらないよビショップ。ナイトはナイト。僕は僕さ。」
「そうだな。」
「例のブツは天宮の家から回収したから心配ない。」
「あ…そうか。」
「それにしても誰なんだよ…天宮殺したの…。」
「殺された…だって?」
「うん。洗面器に顔を突っ込んで死んでたみたい。」
「え?どういうこと…。」
「自分で洗面器に顔突っ込んで死ぬなんてできっこないだろ。殺されたんだよ。天宮。」
「マジか…。」
「俺がいま気になってんのは、誰があいつを殺したかってことなんだ。このタイミングで…。」
「思い当たる節とかは?」
「ない。だから困ってんだ。ビショップ。お前の方はどうなの?」
「どうなのってどういうこと?」
「思い当たる節は。」
「…ない。」

光定は頭を抱えた。

「偶然か…。」
「そんなはず無いだろ。タイミングが悪すぎる。」
「そうだよな。」
「でも…そう考えたら、誰かを疑わないといけなくなる。」
「待てそんなネガティブな発想はやめよう。こう考えられないか?」
「どう?」
「あれだよ。あれがようやく効き出した。」
「あれ…か…。」
「あぁ。天宮みたいな地位も名声も金もあるやつって、何だかんだで誰かに妬まれたりするもんだろ。だからあれが効いてやったってのも考えられる。だってここに来て立て続けに日本全国でテロみたいな事件起き出してるわけだからさ。」
「確かに…それだと一応説明がつく…けどこのタイミングで天宮ってのは、あまりにもピンポイントすぎる気もする。」
「クイーンお前の言うことも分かる。けどもう大きな流れは出来てるんだ。お前自身、さっさとやんないとって言ったろ。」
「あ、うん。」
「俺らは立ち止まってられない。ナイトもやる気だ。お前もだろ。」
「うん。」
「とにかく例の実験レポについては痕跡を消すことができたみたいだから良しとしないか。」
「そうだね。」

空閑はまた連絡すると言って電話を切った。

「おかしいな…ビショップのやつ、電話嫌ってたはずなのに…。急ぎでもない報告で自分から電話してくるなんて…。」

手洗い場の鏡を見た光定は、そこに映る自分の姿をしばし見つめた。

「普通の俺じゃないんだよ…これはさ…。」

こう呟いた彼は白衣の袖で人知れず自分の頬を拭った。

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