第72話



「わかった。木下の周辺には警護をつけさせる。」
「お願いします。」

トイレの音
トイレの水を流してそこから出ようとした時、相馬はこの空間にも貼られているポスターに目が行った。
ユニフォーム姿の女性がオフィスで出たゴミと一緒に腹の出た不潔な男たちを束ねてゴミ箱に捨てるという、若干ジョークめいた内容のデザインだ。画面の下部には白色の文字に赤色の枠で縁取りされたキリル文字が大きく配されている。

「Давай очистим…。掃除をしよう。」

相馬は苦笑いした。

「あれ?」

彼の視線はそのキリル文字の枠線に止まった。
キリル文字の枠線となる赤色を作り出している箇所は網点の集合体のようなもので色を作り出しているようだった。しかし、その網点の形状がどうも変だ。彼は顔を近づけてそこをよく見た。

「え…。」

日銀券の地模様がローマ字のNIPPON GINKOで構成されているように、この文字の赤の枠線もマイクロ文字で構成されているではないか。そこに書かれている文字が何なのかを知り、相馬は戦慄した。

「KILL JAP…。」

この無数の文字の集合体が掃除をしようという言葉の縁を型どっている。
動けなかった。
さっきまでコミカルにさえ見えたこのデザインの意味は180度変わってしまった。

「どういうことや…。まさか店の中に貼られとるやつも全部そうなんけ…。」

そう考えた瞬間、寒気立った。
彼は静かにボストークのトイレから出て、再び木下と向かい合って座った。

「大丈夫ですか?相馬さん。」
「あ、えぇ…すいません。」
「何だか凄い顔色悪いですよ。」
「あ…ははは…おかしいですね。木下さんの不安を少しでも和らげれたらって思って話聞いてたら、僕のほうが何か調子悪くなってしまって…。」
「こちらこそかえってすいませんでした…。」

木下は申し訳無さそうな表情をした。

ふと相馬は店内をざっと見回した。そこかしこにポスターが貼られている。
本を読むことを推奨しているようなもの、ワインと鉄をモチーフにしたもの、人物の顔が大きく印象的に印刷されているもの等いろんなものがあるが、いかんせんキリル文字が書かれているので、一般の人間にはそのポスターが発するメッセージは正確に捉えられない。

「あ、あの…ちょっと貼られてるポスター見てもいいですか?」

そう言って相馬は木下の背後に回って貼られているそれを間近に見た。
何かを呼びかけるようなポーズをとった女性の口からキリル文字が吹き出している。

「Быть осторожен! 気をつけて…。」
「え?相馬さん?」

ポスターの文字を読んだように見えたため、木下はこの相馬の言葉に反応を示した。だが彼はそれには目もくれずポスターの文字に顔を近づける。

ーDESTROY. ぶっ壊せ…。これもや…。これもdestroyの文字で枠を型どっとる。ここにあるやつはみんなこんなのかも…。

相馬は黙って席に座り直した。

「どうしたんですか急に。」
「あ、すいません。さっきトイレに行ったら、そこにもポスターが貼られてましてね。見れば見るほど面白いデザインだったんで、ついここのやつも見入ってしまったんです。」

顔色悪くトイレから出てきたかと思えば、店内のポスターを食い入るように見る。
先程の光定同様これまた妙な行動をとる相馬の様子を目の当たりにした木下の表情はどこか腑に落ちないようだった。
その様子を察した相馬は話題を光定の件に戻した。

「えっと…とにかく、僕らはヤバいものを知ってしまったと思いますんで、こういうときは家でじっとしてるのが良いと思うんです。」
「じっとしてるって?」
「外出を避けて人と合わない。これが一番です。」
「でもそんなこと言っても買い物にも行かなきゃいけないし、出勤もしないといけません。本屋にも行かないといけないし、DVDとかも。」
「仕事に行くとかは仕方ないでしょう。けど本とかDVDはネット通販とかサブスクで対応できるじゃないですか。とにかく不要不急の外出は控えるっていうか、止めましょう。」
「どうしたんですか、相馬さん。わたしそんなにヤバいんですか。」

相馬は頷いた。

「でも…わたし明日も出勤なんです。肝心の光定先生とどう接したらいいと思いますか。」
「休みましょう。」
「それはできません。」
「なんで?」
「それこそ光定先生に睨まれます。」

木下の言い分はもっともだ。突然距離を取ると彼に怪しまれる。しかし木下の話と古田からもたらされた「曽我死亡」という事実。この2つを勘案すれば危険から距離を置くのが一番の安全策だ。命がかかっている。社会的な対面や人間関係は二の次だ。

「木下さんはわかってないんです。」

相馬は厳し目の口調で木下に言い放った。

「いいですか。あなたは殺人の依頼現場をその目で見た。見ただけならまだいい。でもあなたはそれを相手に見られている。あなたは光定にとって不都合な存在になってるんです。このままの状態が続くとは到底思えない。」
「…そうですね。」
「あと心配なのは千種って子が写真みたいなもの見せられて、様子がおかしくなった件です。光定はそのとき千種くんに何かの催眠術的なものをかけたんじゃないですか。」
「催眠術?」

催眠術という単語を発する彼を木下は怪しいものを見る目で見つめた。

「ただの僕の憶測なんですが、もしもそういったことをやった結果、千種くんが動いたとなれば、木下さん、あなたも同じ危険にさらされます。杞憂ならいいんです。でもそれが杞憂でなければ木下さん。あなたの命は危ない。」

口調から相馬が本気で自分のことを心配してくれていることは分かる。
しばらく考え、木下は相馬の勧めに従うことにした。

「これから私は風邪を引きます。」
「それがいい。」
「でもいつまでも欠勤ってわけにはいきません。」
「僕に任せてください。」
「相馬さんに?なんで?」
「ちょっと僕なりにやってみますんで、木下さんはこれを機に休んでください。」
「え…ちょっと意味分かんないんですけど。」

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「何?ビショップやって?」

木下すずを見送った相馬は雨の金沢駅にあった。

「はい。そいつに曽我のコロシを光定は依頼しとったみたいです。」
「ビショップねぇ…。あだ名とかコードネームみたいなやつかな。」
「わかりません。でも確かにそう言ってたみたいです。」
「わかった。それはこっちから片倉の方にすぐに連絡をいれる。」
「お願いします。」
「で、クガって何もんなんや。」
「これもわかりません。流石に木下も光定の交友関係までは知らんみたいです。」
「その千種は光定とクガの媒介をしとれんな。」
「はい。」
「んなら千種を落とすか。」
「はい。」
「よっしゃ。やってみるわ。任せてくれ。」
「じゃあ自分はこれから別件でちょっと行ってきます。」
「別件?何や。」
「ちょっとむかし世話になった人の件なんです。」
「私用か。」
「ほんのちょっとです。」
「わかった。でもなんかあったらカチ構わんと相馬、お前ん所にワシ電話すっからな。」
「どうぞ。」
「あ、あと…。」
「なんです?」
「あ…いや…。」
「なんです?もったいぶらないでください。」
「あ…なんでもない。ワシの思い違いやった。」
「古田さんもお疲れなんじゃないですか。」
「あ、あぁ…。」
「ではまた後で。」

電話を切った古田はため息をついた。

「はぁ~…京子と椎名が接触しとることは流石に言えませんわ…。その椎名が何者かってこともまさか言えるわけもないですし…。」
「言わんでいいですよ。言わんで。余計なことは。」

携帯バイブ音
古田の横に立って難しそうな顔をする岡田は、携帯を取り出した。

「はい。…え?愛人?…ち…ぐ…さ?」
「千種?」

岡田の言葉に古田は反応した。岡田は古田を見てうなずく。

「捜一の警部が対応して返した…対応ってどんな対応したんや。…天宮の書斎で二人でなにかを話しただけ…。そのまま引き取ってもらった…。わかった。また連絡くれ。」

岡田は電話を切った。

「捜一のエスからです。」
「千種の行方は。」
「こいつはわからんらしいです。」
「誰か千種を追えんか。」
「所轄に頼みますか。」
「待て。」

岡田は頭に手を当てて考えた。

「おかしいな…。千種は天宮家の部外者。どんな関係があったとしてもそんなやつ現場に立ち入らせること事態がありえん。」
「はい。」
「それにしてもあまりに機動的すぎんか?その光定の様子を木下が見てすぐやぞ。」

こう言って岡田は黙った。

「課長?」
「まさか…捜一の中に…。」

古田は目を見開いて岡田を見つめた。

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