第73話



「帰ってきたか…。」

部屋に返ってきた椎名の行動はいつもと変わらない。
台所の隅の定位置に手にしていた鞄を置き、一旦洗面所の方に移動。手洗いうがいをし、ふたたび台所に戻ってきた。
床に置かれた鞄からラップトップを取り出し、壁を背にしていつもの席に座る。

「お、さっそく何するんけ。」

椎名がUSBメモリをパソコンに刺すのを見て富樫は手元のキーボードに手をやった。

「ちっ…椎名のやつWi-Fi切っとるがいや…。」

ネットワークを経由して椎名のパソコンに侵入し、彼がなにをしているのかを探ろうとした富樫だった。
しかしその方法を取ることができないことを知り、彼は両腕を組んだ。

「ほうや…京子から貰ったデータやろあれ。本人に何のデータ渡したんか聞いてみれば椎名が何やっとるんかわかるがいや。」

富樫はBluetoothヘッドフォンを利用して、その場で電話をかけた。

「課長。富樫です。」
「なんだ。」
「椎名帰宅しました。」
「そうか。」
「いま京子から貰ったと思われるUSBを自分のPCにぶっ刺しとります。けどWi-Fi切ってあるんであの中にはいれません。」
「そうか…。」
「あの…自分思ったんですけど、これ直で京子にあたるっちゅうのはいかんがですか?」
「直で?京子に?」
「はい。」
「だめや。」
「なんでですか。」
「だめなもんはだめ。」
「でも手っ取り早いですよ。椎名のやつが何やっとるんか知るには。」
「んなもんわかっとる。けどだめ。」
「何ですか。片倉課長に遠慮しとるんですか。」
「いや、そうじゃない。」
「じゃあ…。」
「マサさん。」
「はい。」
「少し頭使え。」

富樫は岡田に言われたとおり素直に目をつぶって考えた。
しかし回答らしきものは思い浮かばない。

「課長。わかりません。」
「椎名はアホじゃない。あいつは俺らにもわからん方法でサツの内部と直で連絡を取る方法を持っとる。とするとここで片倉京子と接触することを選んだのも計算のうちと考えられんか。」
「確かに。」
「だとすると京子はあいつの手の内にある。なんてことも考えられんか。」
「あ…。」
「マルトクの檻の中にある椎名という哀れな生き物。一見するとそうとしか見えん状況に俺らは胡座をかいとったんかもしれん。」
「ほんなら今すぐ強制力で持って椎名を調べるのはどうですか。」
「待て待て。椎名を檻で飼っとるのは俺らマルトクやぞ。あいつが日本に帰ってきてから6年。この6年の間にマルトクは椎名に対して何をしとったんやって話になる。んでもしもその椎名が実は仁川やったとか、それをずーっとマルトクが監視しとったとかが、京子経由でマスコミに流れでもしたらそれこそ俺らマルトクは世論に袋叩きになる。いままさに俺らは無能のそしりをうけとるがんにやぞ。」
「なんちゅうことや…。」
「だから今は手出しできん。」
「くそが!」

富樫は机を叩いた。

「けどこっちも手をこまねいとるだけっちゅうわけにもいかん。京子の勤め先の方を当たるよう指示を出した。」
「ちゃんフリですか。」
「うん。京子の同僚からあいつの仕事のことを聞き出す。そうすればあのUSBの中身も京子と椎名との関係もわかる。」
「あの…大丈夫ですかね。相手はネットメディアとは言えれっきとしたマスコミですよ。」
「それは問題ない。あそこには独自のルートが有る。マサさんはこのまま椎名の行動を追ってくれんけ。」
「了解。」
「あともうひとつ。」
「なんです?」
「局面が変わってきた。」
「え?」
「いまここで説明するには時間がかかる。マサさんはとにかく椎名の面倒頼む。」
「どうしたんですか課長、急に。」
「ここ数日がヤマになる。」

この岡田の発言に富樫は何かを感じ取ったのか、妙に腑に落ちた感じがした。

「なるほど。椎名だけじゃないんですね。」
「ほうや。」
「同時多発的な何かが進行しとるというわけですね。」
「厳しいぞ…。相手は総力戦で来とる。」
「敵は。」
「それがはっきりしとらんから厳しいんや。」
「戦場の霧以前の話ということですか。」
「ああ。」

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金沢片町。
大通りから一本入ったところに背が低く間口が狭い店がある。
掲げられている赤ちょうちんはかろうじて「おでん」と書かれているのが判別できる程度の朽ちっぷりだ。
この一見さんを寄せ付けない雰囲気の店のカウンター席で日本酒を傾ける男二人があった。

「どうしたんですか浮かない顔ですね。古田さん。」
「あ、あぁ…ちょっといろいろありましてね。」
「そりゃいろいろあるでしょう。あなたのような立場なら。」
「まぁ社長さんほどではないですがね。」
「ヤメてください。その社長ってのは。どうも性に合わないんですよ。」
「あらあら。でも実際うまいことやっとるじゃないですか。ちゃんねるフリーダムっちゅうネットメディアをここまでにしたんは、やっぱりあなたの力ですよ。加賀さん。」
「ふっ…で、今日はなんですか。」
「あぁ、おたくの女性記者さんの件でちょっと。」
「片倉京子ですか。」
「はい。」

男は銚子を傾けて口を開く。

「いま彼女には特集を担当してもらっています。」
「ほう…どんな?」
「ほら以前あったじゃないですか。新幹線の中にクソがぶちまけられたやつ。」

こう言った瞬間、彼はやってしまったという表情を見せた。

「問題ないですよ。社長。ここの大将はその手の話は特に気にしません。」
「すいません…気が付きませんで…。」

ヒグマのような風貌の店主はちらりとこちらを見ただけで、仕込みに余念がない様子だ。

「で、どんな内容なんです?」
「ああ、あの事件ですが、京子は誰かが何かの意図を持った実験的な意味合いが強いのではと踏んでましてね。」
「実験?」
「はい。」
「どういった実験なんですか。」
「それは明日から3回に渡って放送される動画を見てくれれば分かるんですが。」
「すいません。一足先に概要だけでも教えてくれませんか。」
「どうしたんですか。何があったんです?」
「それは捜査の関係上ちょっと…。」

古田は空になった加賀の銚子に酒を注いだ。

「捜査…ね。」
「え?どうしました?」
「…古田さん。実は最近、気になる動きがありましてね。」
「は?」
「ウチの社内で。」
「ちゃんフリの中で、ですか?」
「はい。」
「それはあれですか。その京子の特集と何か関係あるんですか。」
「おそらく…。」
「ふうむ。」
「臭うんですよ。」

今度は加賀が古田の空いた銚子に酒を注いだ。
古田はそれをくいっと一気に飲み干した。

頬に赤みがさした状態の加賀はタバコを咥えた。
古田はすかさずライターで加賀の咥えるそれに火を付ける。

「古田さん。物凄く嫌な予感がするんです。」
「嫌な予感。」
「そう。とてつもなく不味いことが進行しているような。」
「それは具体的にいうと。」
「具体的なことはわからない。そういった具体的なものが見えないくらい大きな何かが、その背後にうごめいている感じがするんです。で、多分、俺が今から古田さんに開陳する考えはその大きななにかの、ほんの一部ってところだと思うんです。」
「かつて政府の中枢である財務省に身を置いとったあなたがそう感じるんですか。」
「はい。」

加賀は古田に再び酌をする。

「実はワシの方もいま相当やばい事態に直面してましてね。」
「あなたがヤバいというのは相当ですね。」
「はい。」
「そこが突破されれば国家は危機に直面する。」
「はい…。」
「どうも平時対応では無理があるみたいですね。すでに。」
「おそらく。」
「それは公安特課はじめ警察全体の共通認識なんですか。」
「そうでないところが一番まずい。」
「となれば政府も。」

古田が頷くのを見て、赤みがさしていた加賀の顔は青白いものに変わっていた。

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