第76話



夜の海は恐ろしく闇だ。
そこに立ち、しばらく経って目が慣れてきてもせいぜいが砂浜と海の境が分かる程度。
空と海の境目は闇によって判別できにくい。雨が降る状況ならばなおさらのこと。
漆黒の闇が視界を覆い、激しい雨音の中わずかに聞こえる一定のリズム、波の音。これを聞いているうちに知らず知らず目の前の闇の中に引きずり込まれるような錯覚すら覚えてしまう。

闇は人を寄せ付けない。
視覚という人間にとって最も重要な感覚をそれが削ぎ落とすからだろうか。読んで字の如し、闇によって感覚の手がかりは音に制限される。

人の存在を拒絶する闇の中から、あろうことか人形(ひとがた)のものが這い上がってきた。
ひとつではない。続いてふたつ、みっつ、よっつ。
真っ黒な人形(ひとがた)が海から這い上がり砂浜に立つ。
真っ先にそこに立った人形がシュノーケルを取り外したと判別できた瞬間、それらはウェットスーツを纏った屈強な体つきの男であると確信した。

男は合計5名。
皆両膝に手をついて前かがみになり、息が上がっているようだった。
相当疲労しているように見受けられる。
1分ほど彼らは同じ体勢だった。

落ち着いたのか一人の男が右手を自分の肩の辺りで握った。
そしてそれを開く。
すると彼に付いてきた他の4名は散り散りに別の闇に消えていった。

拳を開いた男もまたそこから別の闇の中に足を踏み出そうをしたときのことである。
彼は動きを止めた。
そしてゆっくりとこちらの方を向いた。

気づかれた。

こう心のなかで呟いた瞬間、私の視界は完全に閉ざされた。
壁のような彼の大きな体が目の前に立ちはだかったからだ。

気がつくと僕は砂浜に横たわっていた。
薄れゆく意識の中で見えないはずの海の沖合が見えた。
幻覚か、それとも死を前にして別次元の感覚を身につけることができたのか。
漁火を灯す漁船のようなものが海面にふわりふわりと漂っているようだった。
ここで私は絶命した。

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「酷いですね…。」

掛かっていたブルーシートを元に戻した岡田は側にいる浅黒い肌の色をした男に言った。

「腹を一突き。その後背後に回って首を掻き捌いたようです。」
「プロか…。」
「おそらく。」
「あなたが遭遇した、20年前の下間悠里上陸のあれを彷彿させますね。」

三好はため息をついた。

「ガイシャは27歳。長年自宅で引きこもっとって親と口論になった結果家出、浜の小屋で一晩明かそうとしとったところに巻き込まれた。…見てしまったんでしょうね。上陸の瞬間を。」
「…。」

運ばれる遺体を遠巻きに見つめて岡田はやりきれない表情になった。

「ここ最近、日本海側で不審船漂着多数。状況から察するに今回のこれも同様のやつでしょう。」
「ツヴァイスタンの工作員が上陸した。そう三好さんは判断されるんですね。」
「はい。今回は不審船のようなものは発見されてません。が殺しの手口が完全に外の人間によるものです。となると必然的にツヴァイスタンの工作絡みの仕業かと。」
「となると船は。」
「沖合で工作員を放ってそのまま向こう側に戻ったんでしょう。」

岡田が浮かない顔であるのを察した三好は彼にこう言った。

「どうしました?何考えてらっしゃるんです岡田課長。」
「いや…。」
「目下のところツヴァイスタンは我が国と友好関係を築こうと外交を展開しとるっていうげんに、なんでここで工作活動を活発化するんやって顔ですね。」

これに答えない岡田の様子を見ながら三好はタバコを咥えた。

「自分は政治の何たるかは心得とりませんが、これこそ喧嘩なんやと思いますよ。」
「喧嘩?」
「ええ。」
「ふーっ…。右手で握手をしたかと思えば左手で棍棒を持って相手を威嚇する的なやつです。」
「棍棒外交ですか。」
「我が国が苦手なやつですよ。」
「我が国は安全保障予算を充実させた。実際のところ自衛隊を中心とした防衛力の整備は進んどる。防衛力は…な。」
「はい。NSSはできたと言っても実際の安全保障問題の統合的運用経験はありません。従来通りDIME(Diplomacy
Intelligence Military Economy)外務、諜報、防衛、経済は各省庁の縦割りになっとります。」
「国益よりも省益が優先した状態が厳然としてまだあるってことやね。」
「ええ。だからそこをつけこまれるってところですか。ツヴァイスタンはそこんところよくわかってます。なにせ国力が弱い国ですから。あそこは必死ですよ。一方で融和、また一方で恫喝。硬軟両面で我が国から色んなものを掠め取る。」
「DIMEの機動的運用ができんことには、これからもずっとこんな感じが続くですか。」
「いや…。」

岡田は沖を遠い目で見る。

「ふーっ…にしてもこの頻度は尋常じゃありません。それに最近は上陸した痕跡を隠そうともせん。」
「確かに。」
「そこんところが妙なんです。隠密行動であるはずの工作員の上陸作戦。これが半ば公然と行われとる。」
「それを取り締まれん公安特課の弱小っぷりを煽る目的もあるんじゃないんですか。公安特課不要論。」
「その目的はないとは言えません。ですが…。」
「なんです。」
「いえ…。」

三好は吸い殻を携帯灰皿にしまった。

「ただあまりにも大っぴらなんですよ。最近の不審船関連は。不審船ってメディアで言ってますが全然不審船じゃない。あきらかに何者かが密かに上陸した形跡が認められる工作船ばかりです。」
「それが短期間で何度も漂着、目撃。」
「はい。これって単純にかなりヤバい話やと思いませんか課長。」
「うん。」
「誰ひとり工作員が捕まっとらんがですよ。これは異常です。」
「確かに。」
「誰も捕まっとらんという事実を素直に見ればこう考えることができます。」
「なんです。」
「まずひとつ。工作員の協力をする連中が国内に多数おるということ。そうでないとこうも大量の工作員を受け入れて組織だった運用はできんはずです。そしてもうひとつは工作員そのものの能力の高さはかなりのものであるということです。誰ひとりサツのお縄に掛かっとらん。目撃情報もない。そして最後。政権内部にあいつらの情報をもみ消す、もしくは不作為によって工作員の浸透を幇助する勢力がある。」
「…。」

岡田の顔つきが変わった。

「その顔、課長もお考えでしたか。」
「…うん。」

三好はため息を付いた。

「意外と公安特課は何もできない。」
「そうです。」
「全国の県警に配置されたマルトクは警察庁警備局公安特課の直轄部隊。ほやけど警察っちゅう組織の中の一部隊には変わりない。となれば公安特課の上は警備局長、次長、警察庁長官といったものの判断を仰がざるを得ない。」
「三好さん。」
「なんです。」
「とかくこの公安特課、動きにくい組織なんです。秘匿性を重んじれば結局のところひとりで抱え込まざるを得ない。」
「だから組織から身を引いた私をここに引っ張ってくださったんですね。」

岡田は頷いた。

タバコの音

「ふーっ…で、どうします。」
「何か…この短期間に一斉にいろんなところから攻めたてらるこの感じ、俺、前に経験したような気がするんですよ。」
「一斉に攻め立てられる?何のことです?」
「諜報戦で身内の中を引っ掻き回して、一方では融和、かとおもえば物理的圧力を加えて相手側を翻弄する。」
「いわゆるエグい攻め方ですね。」
「そう。自分、このエグい攻め方をする人間をかつて間近に見た覚えがあるんです。」

三好は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと煙を吹き出す。

「課長…それ私も見たことある気がするんですけど。」
「…多分見たことありますよ。」
「あれを擬似対象に据えるとなると…。」

岡田も三好も雨の海を見つめて肩を落とした。

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