第77話



「あ、ヤスさん。」

缶コーヒーを手にした安井と偶然、廊下で遭遇した黒田は彼に声をかけた。

「なんだ。」
「なんだって、気になりますよ。」
「なんで?」
「だってその顔。」

黒田は安井の顔を指差した。

「顔?」
「ええ。酷いクマですよ。」

安井は携帯のインカメラを起動して自分の顔を様子を確認した。

「本当だ…。やべぇな…。」
「ヤスさん。酒は?」
「飲んでねぇよ。」
「じゃあ何なんでしょうね。心配になるくらいです。」
「確かに…。」
「寝不足とかですか?」
「あぁ…確かに最近、寝れてないか…。」

スマホの画面に映し出される自分の顔をまじまじと見ていた安井はそれをしまった。

「仕事、振ったほうがいいですよ。」
「振ってるよ。」
「京子に外注使わせたのは、あいつの成長から考えていいタイミングでしたね。」
「あ、そう。」
「あいつもそろそろリスクの取りどころを覚えて欲しいお年頃なんで。」
「進捗はどうよ。」
「いい感じです。」
「そっか。じゃあ結構だ。」
「どこの業者使ってるんですか。あいつ。」
「フリーランス。」
「フリー?」
「うん。」
「いい腕してますね。冗長な感じを受けさせない簡潔明瞭な編集です。」
「そう?」
「ええ。よかったら自分にも紹介してくれませんか。」
「あぁまた今度な。」
「え?今度?今度と言わず教えて下さいよ。」
「近いうちにここの会社に来るだろうから、そのとき紹介するさ。」
「あの、名前は。」
「椎名。」
「椎名…。」
「椎名正賢。印刷会社のDTPやってる。映像の編集は独学さ。自分の腕を試してみたいって言ったから京子に紹介した。」
「独学ですか。」
「ひと昔前は専門の機材がないとできなかった動画の編集、今はPCひとつでそれっぽく編集できるもんな。」
「確かに。」
「写真にしろ動画にしろ、もうセンスだけの時代が来てんのかもな。」
「ヤスさんはその椎名って人にセンスを感じてる。ってことですね。」

安井は黙った。

「でないと自分の代役として京子に勧めたりしない。」
「まぁ…な…。」

奥歯に物が挟まったようなはっきりとしない返事をする安井の様子に黒田は何かを感じ取った。

ーえ?京子に紹介した理由は椎名ってやつのセンスじゃない?
ーじゃあなんで椎名なんて在野の人間を自分の代わりに紹介したんだ。
ーちょっと揺さぶってみるか。

「ヤスさん。」
「なんだよ…。」
「最近何やってんですか。」
「え?」
「自分のところに舞い込んできた仕事は優劣つけずにどれも正面から取り組む。それがヤスさんのスタイルだったと思うんですけど。」
「やってるさ。」
「嘘です。」
「なに?」
「仕事選り好みしてるでしょ。」
「選り好み?何言ってんの?言い方違うだろ。制作部全体のこと考えて、優先順位をつけていろいろ下に振る。そんな役付の仕事をちゃんとこなしてるだけ。今回の京子の件もその一環だって黒田、お前もさっきそれに賛同したじゃん。あいつそろそろリスクとったほうが良いタイミングだったって。それなのに取って返して何、その言い草。」
「違う。」
「は?」
「今までのヤスさんだったら、今回の京子みたいな可能性ありそうなネタは自分から進んで噛んでいった。外に振るなんてことは絶対にしなかった。」
「何だお前?疲れてんのは俺じゃなくてお前じゃないの?支離滅裂だぜ。」
「俺は疲れてません。疲れているのはヤスさんです。」

なぜだ。なぜ自分が問い詰められねばならないのだ。
さっきまで身を案じていたではないか。それに京子に外注先を使うよう仕向けた行動も支持していたではないか。
それなのになぜ突然自分を問い詰めるのだ。安井は混乱した。
自分が問い詰められるのは必然なのか。自分の行動のどこに責められる部分があったのか。
言動を履歴を頭の中で処理しようにも、どうもそれができない。
これは疲労のためか、寝不足のためか。
考えがまとまらない。
結果安井は言葉を失った。

「ヤスさんが自分自身の考えで判断をしてるんだったら俺はその判断を尊重します。」
「…。」
「ただ俺には最近のヤスさんが自分を失っているように映るんです。」
「自分を失う…。」
「ええ。自分を失うときは得てしてその人は何かの解決しがたい問題を抱えているもんです。安井さん。何か抱えていませんか。俺で良ければ力になりますよ。」

缶コーヒーを手にしたまま安井は呆然としている。

「安井さん。」
「…。」
「大川さんとどういった仲なんですか。」
「大川…。」
「はい。」
「大川って何のことだ。」
「大川尚道ですよ。コメンテーターの。」
「…。」
「安井さん。」

突然、安井は黒田の胸ぐらをつかんだ。

「制作の頭は俺だ。報道のお前がとやかく口出すな。」
「や…ヤスさん…。」
「口出すな。わかったな。」

凄みのある詰め寄り方に黒田は思わず頷いてしまった。

「(・д・)チッ」

安井は掴んでいた手を離した。

「もう遅ぇんだよ…。」
「え?」
「じゃあな。」
「や…ヤスさん…。」

廊下を曲がった安井は手にしていた缶コーヒーを開け、それを一口飲んだ。

「ぶっ壊せ…。」

その様子を物陰で遠い目で見つめる男が居た。

携帯の音

「私だ。」
「…一部始終は見てたよ。残念だ…。」
「ああ…君が言っていたとおり、1年前に総務の宮崎さんに相談してたみたいだよ。安井君。」
「そのことでちょっと話があるんだ。ああ、いつもの場所で。」

踵を返して加賀はその場から立ち去った。

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木造2階建ての昭和時代のものと思われるアパート。
それを遠巻きに見つめる相馬が居た。

「あ、出てきた。」

40代の女性は髪を後ろで一つ結びにし、それは茶色に染められている。
ジーパンに白シャツをインした彼女の出で立ちは垢抜けており、古ぼけたこのアパートとのギャップを感じさせる。
彼女の腕には鞄か掛けられており、朝の時間ということもあって出勤ということが容易に予想できる。

「でも、なんか顔疲れてんな…。」

彼女の目の下のクマのようなものを相馬の目は捉えていた。

「三波さん。若めの女の人しか興味なかったんじゃなかったっけ?ひょっとして守備範囲広なったんかな…。」

アパートの階段を降りた彼女は、敷地内の駐車場にある車たちを素通りし、うつむき加減で通りに出て歩き始めた。

「近くなんかな。勤め先。」

一定の距離を保って相馬は彼女をつけ始めた。
10分ほど行った先の公園の東屋にひとり腰をかけた。
おもむろに鞄の中からタバコを取り出しそれに火を付ける。
息を大きく吸い込み、そして吐き出す。吐き出すときに彼女の様子はうなだれるという表現が適切だった。

「タバコ吸うっていうか、あれはため息や…。相当来とるね。あの人。」

携帯を手にしてそれに目を落とし、再びそれを吸う。
見た目は小綺麗であるのに顔の目の辺りだけが疲労を隠しきれない。もしかして目を酷使する職場にいるのだろうか。
2本タバコを吸った彼女はゆっくりと立ち上がった。

「…さん。」

誰かの声が聞こえた。
相馬は声の聞こえる方を見る。
60歳くらいの女性が東屋に向かって手を振っている。

「知り合い?」

「おはよー。」

東屋に居た女性は60の女性に手を振り返す。

「安井さん。今日もいい格好しとるじー。」
「そう?そんなことないわいねー。」

「え?安井?」

安井と呼ばれた彼女は手を降ってきた女性と一緒に、隣接するスーパーマーケットの通用口に吸い込まれていった。

「安井って、まさか…あの安井さん?」

相馬はその場からしばらく動くことができなかった。


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「あぁもしもし。」
「キャップ。いまどこですか。」
「新幹線。」
「え!?」
「あー京子、おまえデスクから聞いてる?」
「なんです?」
「曽我の件。」
「はい。天宮の弟子筋に当たる医師が東京で殺されたって。」
「そ。その件でキーマンになりそうな奴割れたから、ちょっとそいつのところに行ってみようと思ってさ。」
「まさかその人、東一ですか。」
「うん。」
「でいま北陸新幹線で東京に向かってる。」
「うん。もう着くよ。」
「ズルい。」
「はぁ?」
「ズルいですよキャップ。自分だけ出張。」
「何言ってんの。お前の代わりに引き受けてんだよこのヤマ。ひがまれる筋合いはないよ。むしろ少しは感謝しろや。」
「なんで感謝なんかしないと行けないんですか。」
「はぁ!?」

いくらデッキの上だとは言え、大声での電話は感心しない。
そういう視線が三波を刺してきた。

「とにかく俺は今から張り込み突撃取材。じゃあな。」

こう言って三波は電話を切った。
そして再び電話を掛ける。

呼び出し音

「はい。」
「あ、黒田さんの紹介でお電話しました。」
「あぁ…。じゃ折り返します。」

しばらくして三波の電話が震えた。

「はい。」
「日比谷公園。」
「えっ。」
「日比谷公園の健康広場。ここで待つ。目印は…そうだな…。」

ーなに…単刀直入すぎる電話…。

「あ、自分紺色のジャケットにデニムです。」
「あの…そんな人ありふれとるんやけど…。」

ーなによなによ…この妙な圧…。じゃあなに目印にしろって言うのよ…。

「あ、じゃあ、傘持ってます。」
「傘?」
「ええ。金沢はここ二三日ずっと雨でして。今日も朝から雨だったんで傘持ってます。」
「…。」

ーえ…だめ?

「ははっ…らしい。じゃ。」

電話は切られた。

「ん?」

通話終了と同時にスマホの画面にメッセージが表示された。

「お土産、甘いものでいいです…。なんだそりゃ。」

三波は呆れた顔で携帯をしまった。

「ふーっ…。親子揃って俺のこと引っ掻き回さないでくれよなぁ…。」

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