第87話



石川大学医学部の駐車場。ここの車で人の往来を観察する古田がいた。

「ふーっ…石大の医学部とか病院とか、なんやかんやでワシここにべったりじゃないですか。」
「んなこと言わんと。」
「せっかく母屋でコチーって座って仕事できるかと思ったら、また現場。しかも雨。ねぇ岡田課長。」
「人手が足りないんですよ。」
「あ、出てきた。んじゃまた後で。」

そう言って古田は電話を切った。

「千種さん。」

傘を指しているその背後から声をかけられた彼は振り向いた。

「千種賢哉さんですね。」
「…。」
「あの、千種賢哉さんですね。」
「違います。」
「え?」

背を向けて付近のコンビニに向かって歩き出したため、古田はそれを追った。

「ちょ…ちょっとまってください。」
「人違いです。」
「じゃあなんで名前読んだらこっち向いたんですか。」

彼は足を止めた。

「だって僕は千種ですもん。」
「はい?」
「千種錬です。」
「レン?」
「はい。じゃあ。」
「チョット待って。」
「何なんですか。昼メシくらい買わせてくださいよ。」
「あなた千種賢哉でしょうが。」
「だから違うって。」
「おい。誂うなま。」

古田の声色が変わった。

「なんですか…。脅しですか。」
「脅しでもなんでもないわい。ジジイやと思って舐めとるとシバくぞ。」
「何やって?」

今度は千種は古田にガンを飛ばした。

「石大医学部には千種っちゅう名字の学生は賢哉以外におらん。んなもん既に調べ済みや。」
「じゃあその調査が間違ってるんですよ。」
「おいおい…。あんちゃん。マジで喧嘩売っとるんけ?」
「ジジイ。お前こそ俺に喧嘩売ってんじゃねぇの?」

ー何やこいつ…。頭おかしいんか…。

「わかった。千種錬。」
「んだよ、やっとわかったのかよ。ってかジジイ何?」
「ワシか。」
「まさかあんた、僕を買おうって話じゃないだろうね。」
「は?」
「悪ぃけど、僕いまそんな感じじゃないし。」

ー千種を買う?…なるほどこれが天宮の愛人とかって自分で言っとったやつか…。

「すいませんが、それじゃないんですよ。」

そう言うと古田は警察手帳を見せた。

「古田?警察?」
「はい。千種錬さん。あなた昨日、天宮先生のお宅に行かれてましたね。」
「はい。」
「そのことについてお聞きしたいことがありまして。」
「…。」
「どうしました?」
「話すことはありません。」
「いや、あなたから話すことはないとしても、こっちは聞きたいことが山程ありましてですね。」
「どうせ話を聞きたいとか言って、場所変えて僕を襲う算段なんでしょう。」

ー大丈夫じゃないなこいつ…。何かがおかしい…。まさか愛人とか言って実のところ天宮にこいつ犯されたとかじゃないやろうか…。被害妄想入っとる感じがする。

「ワシは警察ですよ。んなことするわけないじゃないですか。」
「わかりません。」
「わかった。場所はここでいい。ここでワシの聞くことに答えるだけ。所要時間は5分でどうです。」
「嫌です。」
「おい千種。」

古田は詰め寄った。

「ワレ、昨日天宮のコロシの現場に入ったやろ。」
「…。」
「誰の了解とって現場に入ったんじゃ。」
「先生。」
「先生?」
「天宮先生だよ。」
「あのな…お前…そんとき既に天宮は死んどるやろうが。」
「まだ生きてるよ。」
「おい…。」
「生きてるって。」

何だこれは。自分の名前を勝手に改変し思い込む。そしてこの要領を得ないやり取り。ついこの間も古田は似たような経験をしていた事に気がついた。
そう天宮憲之への聴取のときだ。
あのとき天宮は曽我についての一切の記憶を失っているようだった。そして要領を得ないやり取り。まさかこの千種もそれと同じような事になっているのではと、古田の直感は働いた。

「天宮先生…生きてるんですね。」
「うん。」
「その証拠見せてもらえますか。」

すると千種は1枚の写真を取り出して古田に見せた。
それを見た古田は唖然としてしばらく言葉を失った。
彼の手には千種と天宮の顔写真が貼り付けられた、男と男がまぐわう現場の写真だった。

「ほら。」
「…。」
「どうしました?」
「…生きて…らっしゃいますね…。」

古田はそっとその写真を返した。

「せっかく取り入ったってのに、勝手に死にやがって…。いままで下の世話散々やってきたってのにぽっくり行きやがってさ…。まったく…研究に関しては中途半端なくせに、下のことに関してだけは探究心が半端ないジジイだったな。」
「え?」
「えっ?」
「いま何て?」
「え、僕何か言いました?」

ーやっぱりなんかおかしいぞこいつ…。だめや。天宮の周辺は無理や。話題を変えよう。

「あ…いえ…すいません…ワシも年でして、なんか空耳でしょうかね。」
「年とって耳が遠くなるってのは聞いたことありますが…。幻聴ってのは…。」

こういうと千種はハッとした表情で古田を見た。

「まさか…。」
「なんです?」
「古田さんでしたっけ。」
「はい。」
「最近物忘れが多いとか誰かに指摘されたこととか…。」

ーおいおい…。天宮と同じくこいつもワシの認知症を疑うか?

「ありません。」
「じゃあ今日は何月何日ですか。」
「4月28日火曜日。もういいですか。」

怒り気味の古田を見て、千種は自分の見立てが誤りである可能性があることを受け入れた。

ーこうも認知症じゃないかって言われると不安になってくるがいや。ってかお前らのほうが認知症じゃないんか?あん?

「ごほん。」

咳払いをした古田は仕切り直した。

「クガってだれですか。千種さん。」
「クガ?」
「はい。おそらく光定先生と何らかの交友がある人物だと思うんですが。」
「空閑先生は僕の恩師です。」
「恩師?」
「はい。塾の講師です。」
「それはなんですか。大学受験のときの学習塾とかですか。」
「はい。そうです。」
「塾の名前は。」
「空閑教室です。」
「クガはどんな字書くんですか。」
「空気の空に閑散の閑です。」
「あの門構えに木のやつですか。」
「はい。」

ーなんでこっちはこうも普通の受け答えなんや。さっきの容量の得なさはいったいどこに行ったんや。

「あ…痛い…。」

千種は急に頭を抱えだした。そしてその場にうずくまってしまった。

「千種さん?千種さん?」

声をかけるも彼は反応しない。

「大丈夫ですか?千種さん!しっかり!」

体を軽く揺さぶるも彼はそれに応えない。

「こりゃいかん。救急車や。ってかここ病院の目の前やがいや。」
「千種さん頑張って。すぐに人呼ぶから。」

そう行って千種に背を向け助けを呼びに走り出したときのことである。

スキッド音

ドンッと言う音が古田の背後から聞こえた。

「え。」

振り返ると千種が宙を舞っていた。
それは放物線を描き5メートルほど飛ばされ、地面に体を強く打ちつけた。
古田はただ呆然とその光景を見つめるだけだった。

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