第88話【前編】



「そうなんです…。目を離した一瞬をつかれました。」
「走る車に自分から突っ込んでいった…。」
「はい。」
「…古田さん。」
「はい。」
「天宮にしろ千種にしろ、古田さんが話を聞きに行った相手が、即効で死んどる。」
「…はい。」
「これなにかの偶然?」
「そうとしか…。」
「天宮は他殺。千種は自殺やしな。」
「はい。」

さすがの古田の声にも力がなかった。
それはそうだ。こうも立て続けについ先程までやり取りしていた人間が直後に死亡したのだ。
ショックを受けて当然だ。

「しかし…こうも調べの対象が即死亡ってのは具合が悪い…。」
「はい。」
「他部署が捜査を仕切るから、ウチら弾かれる。」
「はい。」
「もうここまできたら、そのあたりを見越しての相手側の処理かもしれないって感じを受けるね。」
「はい。」
「古田さん。今回の千種の件も天宮の件もあんたが悪いわけじゃない。気にするな。」
「はい…。」

先程から古田に発言らしい発言がない。
岡田の言葉に基本的に「はい」と応えるばかりだ。
岡田は何かを察したようだ。

「どうした。」

古田視点

「あやしい男がおります。」
「なに?」
「電話しながらこっちの方をチラチラ見とる。」
「野次馬じゃなくて?」
「ワシの勘が何か言っとります。」
「念の為抑えておいてくれないか。」
「了解。」

電話を切った古田はすぐさま電話をかけ直した。

「もしもし?ワシや。おたくの正面玄関から向かって左奥にうだつが上がらん感じのおっさんが電話かけとるの見えんけ?…え?ワシ?ワシじゃなくて…。そのさらにずっと奥。…おうそう。あのハゲ散らかしたおっさん。あいつの写真撮っといてくれんけ。…頼む。」

携帯をしまった古田は深い溜め息をついた。

雨音

地面に体を強く打ち付けてピクリとも動かない千種を古田はしばし呆然と見ていた。

「はっ。」

古田はふと我を取り戻し、彼に駆け寄った。

「千種さん!千種さん!」

大きな声で呼びかけるも何の反応もない。
彼は千種の胸と腹のあたりを見る。呼吸がない。
咄嗟に上着を脱いだ古田は千種の胸骨圧迫を始めた。

「頼む…千種…頑張ってくれ…頼むぞ…。」

祈るような声を振り絞りながら、彼は千種の胸を押し込み続けた。
しばらくして人が集まってきた。
隣接する大学病院からも医師が駆け寄ってきた。
そのまま千種は病院に搬送。
間もなくその死亡が確認された。

事故の目撃者である古田は現場に駆けつけた警察官の聴取に応じた。
それがひととおり終わった段階での岡田との電話だった。

「千種賢哉…。誰や…こんな若い命を弄ぶんわ…。」

肩を震わせた彼は、歯を食いしばった。

携帯が震える音

「はい。」
「いま大丈夫か。」
「あー。」

古田はあたりを見回す。

「千種の件は聞いた、大変だったな。」
「もうご存知で。」
「捜一からマルトクに妙な詮索をさせないようにこっちでなんとかする。」
「助かります。」
「で、大丈夫か。」

電話のマイク部分を手で覆って古田は声を潜めた。

「とりあえず調べから解放されました。怪しいやつはまだおります。」
「そうか。岡田からも聞いてるとおりだ。抜かりなく抑えてくれ。」
「大丈夫です。」
「さすが。」
「あとであなたさまにも送ります。」
「頼む。」
「で、どうしました。百目鬼理事官。」
「椎名と接触が確認されている片倉京子だが。」
「はい。」
「二人の間で金の動きがあった。」
「え?」
「5万円と少額だが動きが不自然なんだ。」
「どう不自然なんです?」
「昨日、京子から椎名へ5万。今日、椎名から京子へ5万。」
「え?行って来い?」
「そう。」
「それは何回?」
「1回。京子はちゃんフリの記者、椎名は印刷屋のDTPオペレータ。このふたりが接点を持ったのが確認されてすぐ現金の授受。」
「金銭の授受が発生しとるってことは、何らかの仕事をどちらかが受けてその代金として支払ったってことですか。」
「そう見れる。だがなんで同額の資金がただ行き来するだけなんだ。」
「お互いが仕事を依頼。で相殺せずバカ正直に金のやり取り…ですか。」

かつて県警の捜査二課で経済犯罪関係を扱ってきた古田でもこの資金の流れにはピンとこなかった。

「京子は椎名にちゃんねるフリーダムで配信する特集の編集を依頼しています。」
「うん。それは聞いている。会社を通さず個人で仕事を受けているんだったな。」
「はい。」
「問題は椎名が京子になにを頼んだのかということだ。」

古田は考えた。
椎名は印刷屋だ。
京子は記者。

「…ライターの仕事ですかね。」
「これも京子同様、個人的に?」
「うーん…。」
「とにかくこのあたりも当たってくれ。」
「あ、理事官。」
「なんだ。」
「やわらこっちの人手が足りんくなってきました。」

百目鬼は黙った。

「ワシは理事官、片倉、岡田のハブの役割をしとります。」
「うん。」
「言うなれば今回のこのヤマの規模感を一番肌で感じる身です。」
「そうだね。」
「少数精鋭で隠密対応できるほど相手は小さくないというのがワシの勘です。」
「目星がついた?」
「いえ。まだまだ全貌が見えません。そんな中で今まで通り戦力を限定して探り続けるっちゅうのはもう無理かと。」
「そこはトシさんの驚異的な調整で。」
「いえ、マジです。」
「…。」
「理事官。このままだとインパールのようにもなりかねません。」
「それは困る。」
「とはいえサツ内にはどうもモグラがおるフシがある。大ぴらに協力を要請することもできません。」
「ただでさえ風当たりが強くなってきているもんね。マルトク。」
「はい。」

「理事官どうだろう…例の作戦は使っては。」
「あれを…ですか。」40

「じゃあ例の作戦でいくか。」
「例の作戦?なんですそれ。」
「京子が椎名を外注で使ったようにこっちも外注使う。」
「すでにHAJABを外注で使っとりますが。」
「トシさん。HAJABって何の略称か知ってる?」
「…いえ。」
「humanity and justice and bear」
「にゅーまにてぃ あんど じゃすてぃす あんど べあー?」
「うん。仁義正義そして熊。」
「クマ?はぁ?」
「仁熊会だよ仁熊会。」
「仁熊会?」
「うん。」
「えっ!理事官…本気で言っとるんですか!?」
「なんで嘘言う必要あるの。」
「HAJABが仁熊会…。」
「うん。ドットメディカルの今川と江國の関係性の背後に仁熊会があったってそのわけ。知らなかった?」
「あ…はい…。ってか理事官。自分が何言ってるかおわかりで…。」
「うん。」
「相手は反社ですよ。」
「ははは。何いってんの。トシさんこそ仁熊会のフロント使ってんじゃん。」
「それは…。」
「知らなかったとは言わせないよ。いま知っちゃったんだから。」

この百目鬼の言葉に古田は何も言い返せなくなった。

「心配ない。仁熊会はただの警備会社だよ今は。それにあそこの熊崎はいま服役中だし問題ないよ。」
「はぁ…。あの…しかしだからといって反社と組むというは…。他にも協力要請できるところはたくさんあるでしょう。」
「じゃあなんでトシさんはHAJAB使ってんの?」
「…。」
「なんだかんだで6年前のご縁を感じて、そこ使っちゃってんでしょ。」
「いえ…。」
「じゃなに?」
「あすこには神谷元警部がいらっしゃいますから。」
「ほらやっぱりそうじゃん。」
「う…。」
「表向きHAJABの江國を協力者にする体で神谷を使う。トシさんなりの人情味あふれる発注なんでしょ。」
「う…。」
「回りくどいよ。」
「すいません。」
「だったらはじめから神谷を協力者にすればいいんだ。」
「えっ?それはどういう意味で?」
「言ったでしょ。HAJABの名前の由来。」
「はい。」
「HAJABの大本は仁熊会ってわけだ。」
「はい。」
「じゃあなんで神谷が反社フロントのHAJABなんかに居るか。」
「いや…なんで…ですか?」
「神谷自身、いま反社だから。」
「…すいません。意味わかりません。」
「いまの神谷の本籍は仁熊会だ。」
「なんやって!?」
「このあたりはヤメ警の十河あたりなら全部把握してるだろうね。」
「神谷は仁熊会からの出向ってわけですか…。」
「そう。」
「神谷は元公安…。まさか…ということは…。」
「仁熊会は公安特課の小会社になってるってわけ。」
「いつから…。」
「つい最近さ。内部の掌握が完了したのは。」
「全然知らんかった…。」
「知られてたら大事さ。…まぁ兵站の確保はできてる。今後の捜査にはウチの小会社を使ってくれ。」
「でも…。」

通話をしている中、古田の携帯にメッセージが届いた。
神谷の連絡先のようである。

「江國は神谷のバディ。トシさんが江國に依頼している内容はすべて神谷も知ってる。だから話は早いはず。」
「まさか…そんな手はずが整っとったなんて…。」
「これも金があるからできる芸当さ。でも…。」
「でも?」
「トシさんも知ってるだろ。大蔵省が俺らの予算を削減しようとしているじゃん。」
「あ…はい。」
「このまま行けば俺ら来期は大幅減額。ひょっとしたらお取り潰し?」
「それは困ります。」
「でもそれって考えようによっちゃ今期はいままで通りってことだよねぇ。」
「ま、まぁ…。」
「じゃあなりふりかまわずやってやろうじゃないの。」

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