102.2 第90話【後編】



「え?直接投与する?」
「うん。」
「でも…まだ実用化できてないよ。」
「実験で構わない。今すぐ試したいんだ。」
「でも僕はいま手が離せない。」
「俺がやる。」
「ビショップ。君が?」
「ああ。俺がやる。」
「でも方法を君は知らない。」
「教えてくれ。」
「教えても無理だ。」
「なぜ。」
「物理的な理由さ。」
「なんだそれは。」
「こんな意味のないことをここで君に開陳する意味を僕は見いだせない。」
「じゃあ聞く、仮にその物理的な問題を克服したら瞬間催眠は実用化できるのか。」
「今よりは実用化に近づく。」
「どの程度。」
「完成が100とすれば80まで一気に進むだろう。」
「教えてくれ。」
「だから無理なものを議論するのは科学的じゃないし、時間の無駄だ。やめようこの話は。」
「どうして無理と言える。無理と言える根拠は。」
「無理なものは無理だ。」
「そうやって合理性を持ったふりして、進化の歩みをこの国は幾度となく止めてきた。」
「…。」
「どうして議論しない。なぜ無理と決め付ける。試してみろよ。実験によって証明を果たすのが科学だろうが。はなから無価値と決めつけることほど科学的でない思考は無いぜ。」
「どうしてそこまで。」
「他ならないルークの頼みだ。」
「ルークの…。」
「今すぐある人間の口を止めなければならない。かといって拉致るわけにも行かない人間だ。」
「なるほど…そういうことか…。」

二人の間にしばらくの沈黙が流れた。

「僕は本当の意味での瞬間催眠を実現化していない。」
「何言ってる。千種にそいつをかけて天宮のところのブツを回収させたんだろう。」
「いや。あれは違う。いままでの付き合いの中で僕は彼に断続的に催眠をかけてきた。不安と安心。否定と肯定。失敗と成功。これらを交互に断続的に彼に与えてきた。」
「君から俺に書類を渡すって単純なミッションにもそれを巧みに入れていたな。」
「ああ。こうやって精神を不安定な状態に持っていき、ある種のトリガーを引く。そうすればばそれが発動するって仕組みだ。」
「しかしサブリミナルのやつはどうだ。トリガーになりうる今度のちゃんフリ特集を待たずに影響が現れつつある。」
「それは人間の潜在意識の記憶装置っていうのは許容量ってのがある。それは人それぞれ。その許容量を上回ったらコップの水が溢れ出すように何らかの影響が現れる。いま起こっている現象はその許容量をオーバーしたごくわずかの人間に起きている現象だ。例の特集三部作はいままでティースプーンで水を流し込んでいたのを、コップで水を入れてみるってやつさ。今の段階でこの騒ぎだから、おそらく例の動画が流れれば相応の影響が出るだろう。」
「だから俺はそのコップのやつを教えてくれと言っているんだ。」
「やめてくれ!」
「なぜ…。」
「ナイトはひとりでいい。」
「ナイト?」
「そうだ。ナイトは初めからこのコップの催眠をかけた。だからあの状態だ。」
「いや…だから、そういうことじゃなくて…。」
「そういうことなんだ。」
「え?」
「僕は朝戸を鍋島にするために催眠をかけた。」
「なんだ…って。」
「だけどそれは失敗した。その結果がいまのナイトの状況だ。」
「…。」
「他人ならいい。いくらでもどうとでもする。だけどビショップ…。お前、仲間だって言ってくれたよな。」
「…。」
「破滅は結構だ。だけど身内も破滅することを俺は求めていないよ…。」
「クイーン…。」
「瞬間催眠の実用化は鍋島を作ること。これしか無いと僕は思っている。」
「鍋島を作る…。」
「だからビショップ。君を鍋島にすることでしか本当の意味での瞬間催眠は実現できない。」
「いや待て。いま俺が言っている奴はちゃんフリの人間だ。そこの連中は世間様よりも自分所の動画を見ている。つまりコップの水が溢れやすい状態なわけだ。だから強めのお薬を投与するだけでそれが溢れ出すんじゃないか?」
「言っただろ。許容量は人それぞれだ。それに日が経つとアルコールのように気が抜けるような奴もいる。」
「そうなのか…。」

空閑は目を瞑った。
そして大きく息をつく。

「やってくれクイーン。」
「何を?」
「俺を鍋島にしてくれ。」
「だからそれはやらないって言っただろ。」
「やってくれ。じゃないと今までの計画が全部ぱあだ。」
「無理だ。」
「馬鹿野郎!」
「…。」
「なんのためにナイトが犠牲になるんだ!俺らの仲間だろう!あいつを無駄死にさせていいのか!」
「でもあいつはビショップに鍋島になることを求めていないはず。」
「そうかも知れないけど。最後の最後でパアになったらどうなるんだ!」
「…。」
「わかってるんだろうクイーン。そうするしか方法もないってこともさ。だからお前、ここで黙るんだ。」
「…。」
「やってみないとわかんねぇだろ。俺とナイトだってその許容量ってやつが違うんだ。だったら実験の結果も違うかもしれないだろ。」
「そうなんだけど…もしものときが危険すぎる。」
「なんにも無けりゃ仕方がない。俺の方でちゃんフリの奴に実力行使する。もし俺がおかしくなったら、俺を処分すりゃいいさ。」
「んなもんできるかよ。」
「やってくれ。」
「やれない。」
「やれ!」

電話口ですすり泣く声が聞こえた。

「そうなったら俺…どうすればいいんだよ…。」
「キングがいる。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自席に戻った紀伊はパソコンに向かって座った。
しばらく離席していただけで、すでに13件のメールが届いていた。
その殆どが事務連絡関係のものだった。

「はぁ…。」
「どした紀伊。」

後方の席から声をかけられたため振り返った。片倉だった。
ここしばらく離席が目立っていた彼は、今日は時折席を外すことはあったが、基本的に室内にいた。

「事務連がアホみたいに着てます。」
「あぁこっちにも着とる。適当でいい。適当で。俺らは特高自治州や。」
「はい。」
「なんてことも今は正直言っとれんげんけどな。まぁ考えたってしゃあない。」

それよりと言って片倉は続けた。

「お前、腹の調子は大丈夫なんか。」
「え?」
「さっきも便所行っとったいや。邪魔ねぇんか?」
「邪魔はあると思います。」
「暴飲、暴食だめねんぞ。」
「そこらあたりは意外と俺、気を使ってます。」
「じゃストレスや。」
「…。」
「はい。とは言いにくいわな。」

自分の机の引き出しの中を弄った片倉は何かを手にしてそれを紀伊にわたした。

「ほい富山の薬。」
「富山の薬?」
「うん。配置薬。ウチとっとれんわ。」
「へぇ…。」
「昭和やろ。」
「…昭和ですね。」
「効くかどうか正直わからんけど、なんかのときは俺これ飲んどれんわ。よかったら飲んでみて。」
「は、はい。」
「あ、水で飲まんねんぞ。コーヒーとかお茶で飲んだらだめやぞ。」

ーまるで母ちゃんみたいだ…。

「んで後味の飴ちゃんや。」

机の中からまたも何かを手にした片倉はそれを紀伊に手渡した。

「紅茶飴?」
「おう。俺これ好きねんて。やる。」

ーますますおばちゃんじゃないか…。ってか班長、こんな顔あったんだ。

「ま、この仕事、おそらくこの世で最もストレスが溜まる仕事の一つやと思う。ほやからどっかでホッとするもん作っとかんとぶっ壊れる。」
「はい…。」
「紀伊。この特高。実際の仕切りはお前がやってくれとるから回っとるんや。礼を言う。」
「は、はい。」

ーどうしたんだ班長。突然。

「ほやけど、それなんや。」
「え?」
「そのメール。なんや?」

目を細めて奥の紀伊のパソコン画面を見つめながら片倉は言った。

「メール…ですか?」
「ああ、一番上のやつ。」

紀伊は再び自分のパソコンを覗き込む。先程の13件のメールに続いて1件のメールが新着で届いていた。

「え?石川のマルトク?」

ーなんで石川のマルトクから俺にメールが?

「石川のマルトク?なんでお前のところにんなもんが?」
「あ…なんでしょうね…。」

紀伊は恐る恐るそのメールを開いた。
本文は添付画像紹介されたしとだけ書かれている。

「班長。添付された画像の照会依頼のようです。」
「照会依頼?なんでそんなもんが主任にところに?」
「わかりません。どうしましょうか。」
「ひょっとすると成りすましとかウィルスかもしれん。」

そう言うと片倉はIT担当を呼びつけて、この添付されたデータの検証をさせた。

ーおいおい…待ってくれよ…。誰だこんなヘマやらかすのは…。そもそもなんで石川が俺の個人アドレス知ってるんだよ…。

「主任。心当たりは?」
「ありません。各県警のマルトクとは特高代表アドレスを介してしかやり取りしてません。」
「だよな…。」
「私のアドレスを知ってるのは特高スタッフと私より上の人間…。」

ここで紀伊は言葉に詰まった。

ー上…。まさか百目鬼理事官…?

「なんや主任。」
「いえ…。」

ーいや…陶専門官かも…。

IT担当が添付ファイルに不審な点は無いと言ったため、片倉はそれを開くよう言った。

「なんやこのハゲ散らかしたおっさん。」
「とりあえず解析させましょうか。」
「うん。頼む。」

紀伊はデータを係りの人間に転送した。

「それにしてもこれはこれで問題やな。」
「はい…。」
「ちょいすぐにあすこの課長に確認とってくれ。」
「はい。」
「どうした主任。気分が悪いんか。顔色悪いぞ。」
「まぁ…。」
「問題ない。お前に心当たりが無いんやったらほんでいい。俺が上にはなんとか言う。お前はいつもどおり仕事しろ。」
「はい…。」
「責任は俺が取る。ほんでいいがいや。」

このときの片倉の表情を見落としていた。
そう自分の労苦をねぎらう片倉の目が笑っていなかったのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【公式サイト】
http://yamitofuna.org
【Twitter】
https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM

ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。
皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。

すべてのご意見に目を通させていただきます。

場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。

この記事へのコメント