103 第91話



石川大学病院部総務人事課。
人事課長の坊山に耳打ちする者がいた。

「え?光定先生が?」
「はい。急用が入ったっておっしゃって席を外してそのままなんです。」
「何?帰ったん?」
「わかりません。」
「はぁ…。で、診療の方は?」
「代わりの先生にまわしてもらっていますが、患者の待ち時間が…。」
「んなもん仕方ない。患者には事情を説明してなんとかしてもらえ。」
「はい。」

ーまずいことになった…。

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1時間前。

「は?ウチの中村になりすまして小早川教授と面会?」
「そうだ。」
「え?今朝、部長にも電話でお伝えしたでしょう。中村は今日は休みです。中村本人じゃなくてですか?」
「だからお前をここに呼び出したんだ!」

机叩く

「坊山!なんで外部の人間がウチの人間に成りすますことができるんだ!個人情報ダダ漏れじゃないか!」
「申し訳ございません…。」
「どういう管理をしてる。」
「は?」
「だから!なにをどうすればこんなヘマが起こるんだ!」
「原因究明はこれから行います。」
「くそっ!」

荒ぶる病院部長を前にこの坊山はただ静かにそれに応えるしか方法を見い出せなかった。

「ところで光定先生は大丈夫か。」
「は?」
「光定先生には変わりはないか。」
「光定先生?え?はぁ、まぁいつもどおり今頃外来で診療していると思いますが。」
「小早川先生は天宮先生の代わりに東一から来られる優秀な先生だ。光定先生も天宮先生の秘蔵っ子。とにかく東一のお客様には粗相の内容にしろ。」
「それは心得ております。」
「本当かよ。」
「本当です。」
「じゃあなんで今みたいなヘマが起きるんだ。」
「…。」
「ったく。これだからプロパーは困るんだ。」
「申し訳ございません。」
「お客さんのもてなし方も禄に分かっていない。」
「以後気をつけます。」
「はぁ…。個人情報の漏洩と成りすましについて、至急原因究明しろ。」
「はい。」

内線電話の音

「はい。」

坊山は病院部長が下がれと合図をしているのを見て、坊山は軽く頭を下げて部屋を後にしようとした。

「待て。坊山。」
「え?」
「ええ…。わかりました…。では一旦止めます。」

電話を切った部長の額、首筋におびただしい汗の粒が見えた。

「部長…いかがなされましたでしょうか。」
「小早川先生が亡くなった。」
「え!?」
「研究室から飛び降りたそうだ。」
「飛び降り自殺?」
「そのようだ…。」
「…。」
「とにかくこれは今はとりあえず伏せておけ。おってこちらから指示を出す。」
「はい。」

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ー天宮が死んで、曽我が殺された。後を追うように小早川が自殺。そしてここで光定も失踪。
ーなんだこの天宮門下の現象は…。

「坊山課長はいるか。」

総務人事課に病院部長の井戸村が突如として現れた。

ーあーまたどやされる…。

「はい。ここに。」
「ちょっと俺の部屋まで来てくれ。」
「はい。」

ドアを閉める音

「今度は光定先生が消えたそうだな。」
「…もうご存知で。」

井戸村は静かにうなずいた。

「ちょっとこのままにしておいてくれないか。」
「え?」
「光定先生はご存知のようにコミュニケーション障害の気がある。それを拗らせたのかもしれない。」
「いや…部長。さっきは東一のお客様には粗相がないようにと…。」
「もういい。状況が変わった。」
「はぁ。」
「とにかくあの先生を探すようなことは今はするな。」
「はい…。」
「君はとにかく情報漏洩の件を潰してくれ。」
「かしこまりました。」

坊山の足音

ーなんだ部長のこの手のひら返し。
ー小早川先生の件はどうなったんや。
ーなんで光定先生だけ放ったらかしなんや。

外来の心療内科では光定の急な不在の説明のため、ちょっとした混乱が生じているようだった。

「坊山課長。」
「うん?」

自分の名前を呼ぶ方を見ると30代半ばの女性看護師がいた。

「あぁ楠冨(くすとみ)さんか。」
「大変ですね。」
「まぁね。」
「光定先生。消えちゃったんでしょ。」
「うん…。」
「私達も消えちゃいません?」

どうしてこういう状況下でこのような誘惑の言葉を言えるだろうか。
坊山は彼女の姿を見た。制服姿だというのにあいも変わらず、妙に体の線がはっきりと出ている。

「はぁ…。」
「あれ?興味ない?」
「ったく…もう少し相手を見てやったらどうなんです?」
「えー私、そんなに節操のない感じですか。」
「はい。」
「私、課長にしかこんなこと言いません。」
「はいはい。うそうそ。」
「なんでそんなこと言えるんです?」
「知ってますよ。」
「はい?」
「仕事中にその手のことは勘弁してくださいね。非常階段とかで。マスコミ関係の人間は特にね。」
「あ、ご存知でした?」
「そりゃあ人事課長ですから。色んな所から報告入りますんでね。」

楠冨は黙った。

「で、なんです?」
「ちょっと気になったことがありまして。」
「どういうことですか。」
「心療内科の木下すずって看護師がいるんですけど。」
「はぁ。」
「この娘、今朝急に風邪で休んだんです。心療内科の師長から聞きました。」
「はい。」
「光定先生、この木下って娘とは特に馬が合うらしいんですよ。」
「…で。」
「木下さんが急に休んでその後を追うように光定先生が消える。これなんかちょっと甘酸っぱい匂いしてきませんか?」
「はぁ…。」

坊山は頭をかいた。

「楠冨さんの妄想って凄いですね。」
「妄想ですかね。」
「医師と看護師の色恋沙汰が双方の職場放棄を招いた?」
「はい。」
「妄想じゃなかったら何なんですか。」
「私見たんですけど。」
「は?何を?」
「光定先生と木下さんが言い争っているところ。」
「え…。」
「あーでも妄想なんですよね。」
「あ、と…ちょ…。」
「私も似たようなこと昔あったから、木下さんの気持ちわかるなーって思ってたんですけど。」
「それ本当?」

楠冨はうなずいた。

「ちょっと聞かせてもらえます?」
「えーでも妄想なんでしょ。私の。」
「あ、いえ…そんなことはないですよ。」
「あっいけない。わたし病棟に戻らないと。」
「あーそんなこと言わんと…。」

坊山は楠冨の手をとっさに握った。

「ダメダメ。わたしその気なくなちゃった。」

坊山の手を振り払った彼女はその場を立ち去った。

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「光定が突然消えた原因はいまのところ不明です。」
「そう。」
「とりあえず私の方で、社長から聞いた話しを病院の人事に流しておきました。」
「そう。ありがとう。」

誰もいない喫茶ドミノのカウンター席に座って、タバコを吸いながら電話をする森の姿があった。

「それにしても何なんですか。久美子の周辺。以前の主治医が殺されたと思ったら、今度は今の主治医が失踪。何が起きてるんです?」
「いろいろあるんじゃないの。」
「ありすぎです。」
「確かにそうね…。」
「こうも立て続けだと、偶然とは思いにくいです。」
「そうね。その可能性は少なそうね。」
「ってことはやっぱり。」
「事件かしら。」
「久美子に関係があるんですか。」
「わかんない。ただ。」
「ただ?」
「どうも昨日から変なのよね。」
「変?」
「うん。久美子の周辺が。」
「え?いまの病院関係以外にですか。」
「そうなの。」
「どう変なんです?」
「なんかね。久美子の様子を見てる奴いるみたいなの。」
「久美子の様子を見る?」
「そう。」
「…本当ですか。」
「警察の知り合いから聞いた話よ。」
「なんです?つけるとかですか。」
「そうなの。」
「それって…。」
「そう。6年前のやつ思う出しちゃうでしょ。」
「はい…。」
「だから警察にはしっかりしてよって言っておいたの。」
「そうですね。本当にここでしっかりしてもらわないと。」
「楠冨。あんたは石大の様子をちゃんと抑えてればいいの。それ以外は私と警察の人でなんとかするから。」
「わかりました。」
「それにしてもあんたも板についたわね。」
「何がです?」
「看護師の革を被ったスパイ?」
「スパイ…ですか…。」
「そんな感じじゃない?」
「ボンドガールみたいだったらいいんですけどね。」
「だめよ。」
「え?なんで。」
「ボンドガールって最初はボンドの敵役なのに結局は最後にボンドと恋仲になっちゃうでしょ。あなたが相手側に寝返るのはごめんよ。」
「あ…。」

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「光定先生と看護師が言い争い…か…。」

坊山はため息を付いて机の上に突っ伏した。
すると鼻水がたれてきたため、それを啜った。

光定の鼻グスグスの音

ー光定先生…あんなんねんに言い争いなんかできるんかなぁ…。

「坊山課長。中村主任からお電話です。」

はいはいと言った彼はそれに出た。

「あぁもしもーし。中村くん?」
「はい。」
「お休み中申し訳ないんだけどさ。ちょっと君に関することで面倒なことが起きててね。」
「やっぱり…。」
「やっぱり?何?もう誰かから聞いた?」
「いえ、何が起きてるのかわかりませんが、ちょっと前に自分の携帯に電話かかってきて。」
「電話?」
「はい。」

プッシュ音 呼び出し音

「はい。」
「中村様のお電話でしょうか?」
「はい。」
「先程お越しになられたときにお忘れ物がありましたのでご連絡差し上げたんですが。」
「え?」
「あ…中村さんですよね。」
「はい。」
「えーっと…。」
「あの…何なんですか?自分、今日はまだ家から出てないんですけど…。」
「あぁ失礼しました。中村様違いだったようです。申し訳ございません。」

電話を切る音86

「どこからだった?」
「見たこともない電話番号でした。」
「それ検索かけた?」
「はい。でも該当するものはありませんでした。」
「該当するものがない?」
「一応東京からのもののようでしたが、それ以外は…。で、課長。何が起きたんですか。」
「あぁ実は君になりすまして、東一の小早川先生と接触した奴がいてね。」
「自分に成りすまし?」
「そう。で君になにか心当たりがないかどうかを聞くために、お休み中電話したってわけ。」
「心当たりなんかありませんよ。」
「そうだよね…。」
「それより課長。」
「なに?」
「あの楠冨さんって方ですけど。」
「なに?なにかあった?」
「今度紹介してください。」
「は?」
「やばいっす。あの人。超好みっす。」
「あ…はぁ…。」
「おねがいします。課長の馴染みの方なんでしょう。」
「まぁ…。」

電話を切った坊山はため息を付いた。

「出本はアイツかよ…。」

頭を掻いた彼は総務人事部から出ていった。

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