第76話

3-76.mp3 夜の海は恐ろしく闇だ。 そこに立ち、しばらく経って目が慣れてきてもせいぜいが砂浜と海の境が分かる程度。 空と海の境目は闇によって判別できにくい。雨が降る状況ならばなおさらのこと。 漆黒の闇が視界を覆い、激しい雨音の中わずかに聞こえる一定のリズム、波の音。これを聞いているうちに知らず知らず目の前の闇の中に引きずり込まれるような錯覚すら覚えてしまう。 闇は人を寄せ付けない。 視覚という人間にとって最も重要な感覚をそれが削ぎ落とすからだろうか。読んで字の如し、闇によって感覚の手がかりは音に制限される。 人の存在を拒絶する闇の中から、あろうことか人形(ひとがた)のものが這い上がってきた。 ひとつではない。続いてふたつ、みっつ、よっつ。 真っ黒な人形(ひとがた)が海から這い上がり砂浜に立つ。 真っ先にそこに立った人形がシュノーケルを取り外したと判別できた瞬間、それらはウェットスーツを纏った屈強な体つきの男であると確信した。 男は合計5名。 皆両膝に手をついて前かがみになり、息が上がっているようだった。 相当疲労しているように見受けられる。 1分ほど彼らは同じ体勢だった。 落ち着いたのか一人の男が右手を自分の肩の辺りで握った。 そしてそれを開く。 すると彼に付いてきた他の4名は散り散りに別の闇に消えていった。 拳を開いた男もまたそこから別の闇の中に足を踏み出そうをしたときのことである。 彼は動きを止めた。 そしてゆっくりとこちら…

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第75話【後編】

3-75-2.mp3 「ヒェ~すげぇ雨…。なんなんだよ、昨日から全然止まないじゃん…。えっと…確か保険屋から粗品でタオルもらってたよな…。」 グローブボックスの中を弄るも、お目当てのものは見つからない。どうやら彼の思い違いのようだったようだ。エンジンをかけた三波はエアコンを付け、その風で自分の濡れた服と髪の毛を乾かすことにした。 「小早川干城(たてき)…か。」 三波の手の内には雨で濡れてしまったメモ用紙があった。彼はそれをエアコンの吹出口にあてがって乾かす。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あの…ちょっと初歩的なことを聞いていいですか。」 「なんです?」 「その、名誉教授って一体どんな役職なんです?」 石川大学病院の非常階段。 この踊り場で三波は看護師と落ち合った。 二人は人目を忍ぶようにそこで会話を続けた。 「名誉教授っていうのはうちの病院にとって功績があったと認められた人に与えられる称号です。名誉教授っていう役職があるわけじゃなくて、あくまでも飾り的なものです。」 「え?て言うと天宮先生は今はここで教鞭をとったりとかしていないってことですか。」 「はい。昨年の引退と同時に名誉教授の称号をもらったって感じです。」 「あぁ…そうなんですか。あ、でもやっぱり今回の事件については結構騒動になってるんでしょう、ここの病院。」 「はい。なにせ引退しても時々顔だしてましたからここに。」 「引退後も…ですか。」…

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第75話【前編】

3-75-1.mp3 「ビショップ。お前曽我の実行部隊が殺されたことは知ってるか。」 「え?何だそれ。」 「現場の近くで遺体で発見されたらしい。」 「なんだって…。」 「俺の近くで死人が出るのは困るんだよ。」 「すまない…。」 「すぐにヤドルチェンコに確認とってくれ。」 「わかった。」 ホームに背をもたれた紀伊はため息を付いた。 ーなんだ…俺らの知らないところで何が起こっている…。 しばらくして電車がホームに入ってきた。それに乗り込んで車両の一番隅の席につくと同時に男が隣りに座ってきた。 「捜一は何をやってる。」 「何の事言ってるんだ。」 「曽我という男が殺されただろう。」 「ああ。あれか。」 「通報の無線も捜査の進捗も一切こっちに入ってきていない。」 「必要なしと認めたんだろう。」 「なに?」 「殺人事件は特高のシマじゃない。お前らはあくまでも政治警察だ。」 「そうだが…。」 「政権肝いりで創設された部署ってことでいろいろ配慮してるにも関わらず、目立った成果が得られないどころかここに来て失態続き。いい加減頭にきた感じなんだろう。」 「お前もそう思ってるのか。」 男は首を振る。 「犯罪を未然に防ぐのがお前らの仕事。目に見える成果なんか得られるわけもないだろう。上の理解が足りないだけさ。」 「上って?」 「さぁ…。誰だろう。」 「捜査一課の課長か。」 「上の方の考えてることは俺はわからんよ。その上かも知れん。」 「…

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