第71話



「普段はしょっちゅう鼻啜ってて、言葉に支えるようなところがある医者。でも別に吃音だとかじゃない。とにかく喋りがとろい。そしてどこかオドオドしてる。そんな医者が人が変わったように流暢に喋り、かつ乱暴な言動が目につく。」
「はい。人格の豹変ぶりはまさにマンガとかに出てくる二重人格といった具合でした。」
「それがこの世のものとは思えない情景だった…。」
「はい。」
「…木下さんはその二重人格の人って今までに見たことあるんですか?」
「ありません。今回が初めてです。」

相馬は自分の顎を掴んだ。

「うーん。」
「にわかに信じがたいと思います。けど本当なんです。とにかく本当に普段と別の人格が現れたんです。」
「で、その別人格が医学生に何を?」
「ある先生のところに行って調べ物をしてこいって。」
「ある先生?え?」

木下の説明はある先生とか医学生といった抽象的な人物が出てくるため、頭の中の整理が付きづらい。
できれば固有名詞を出して順を追って説明してくれたほうが全体像が掴みやすいと、相馬は木下に提案した。

「じゃあAさんとかBさんでいいですか?」
「いや…それだと何だか直感的にわかりにくいので、できれば実際のお名前で。」
「でも…。」
「大丈夫ですよ。誰もこんなところで聞いてません。」

木下は店の中を見回した。
店内の誰もが他の客には何の関心も示していない様子だ。
銘々が自分の世界に入り込んでいる。

彼女は相馬の提案を受け入れた。

「備品庫に備品取りに行ったとき、偶然、そこにいた光定先生の一部始終を見たっていうか聞いたんです。」
「光定先生ですか。心療内科の。」
「はい。」
「その光定先生が別人格になったんですね。」

木下はうなずいた。

「遺体が検死に回ってきたんです。で光定先生はそこに偶然居合わせて、そこにいた法医学の先生から聞いたんです。」
「何を?」
「いま検死に回ってきたのは光定先生の恩師である天宮先生だって。」
「え?恩師が遺体で?」
「はい。光定先生は驚いてました。」
「そりゃ…そうでしょう…。」
「さらに驚くことにその天宮先生。他殺の疑いがあるみたいだったんです。」
「え…。」
「光定先生はすぐにどこかに連絡をとってました。メールかなんかで。」
「そのときの様子はどんな感じでした?」
「時々鼻すすっていつもどおりでした。あ、でもやっぱりちょっと落ち着きがない感じでした。」
「そうですか。」
「そこに医学生がこれまた偶然登場するんです。この医学生は確か千種くんとかいいました。」
「わかりました。千種くんですね。」
「その千種くんが先生に声をかけるとびっくりした様子でしたが、彼が光定先生の恩師である天宮先生の死について言及すると途端に光定先生の言葉使いが乱暴になったんです。」
「ほう。」
「そして恩師であるはずの天宮先生を罵倒しだしました。」
「罵倒?恩師を?さっきまでその死亡に衝撃を受けていたのに?」
「はい。」
「罵倒って具体的にはどんなかんじですか?」
「死んで当然、ざまみろ、色ボケじじい。」
「え…。」
「この時光定先生の言葉はすでに流暢でした。」
「何か…極端ですね…。」
「そうでしょう…。」
「ちょっと信じられない。」
「信じられないのはここからです。」
「え?ここから?」
「はい。光定先生は千種くんを羽交い締めにしてこう言ったんです。お前は天宮の情婦だろ。学生の頃から将来を考えて天宮と下半身の関係を持ってたんだろ。そこまでしてたのに、こんなところで天宮先生があっけなく死んでしまったら、いままで積み上げてきたものがお釈迦になってしまうし、足もつく。そういうのは困るだろって。」
「あ…その千種って子は女性だったんですか。」
「いえ。男の子です。」
「は?」

相馬は混乱した。

「まだ続きがあるんで先に進んでいいですか。」
「あ…はい…。」
「ここで不思議なことが起こっていることに気が付きました。羽交い締めにされることに抵抗を示してた千種くんの表情はみるみる変わって、何だか…恍惚とした顔つきになっていたんです。」
「抵抗していたのに、それが?」
「はい。ひょっとしたらあの二人、BLなのかもしれませんね。」
「ボーイズ・ラブ…ですか…。」
「ビジュアル厳しいし、それにリアル世界のことなんで私は無理ですけど。」
「あ…はぁ…。」

ー待てよ…。


「東一病院時代の光定の机の中には人間の目の写真がぎっしり。鍋島の特殊能力発動条件はやつの眼力。曽我の裏方として鍋島の特殊能力の分析をしとった光定はどうやらそれには気がついとったみたいやな。」38


「すいません。みるみる表情が変わったって…まさか羽交い締めにしてそこで、あの…ほら…シだしたとかじゃないんでしょ。」
「え?相馬さん…。」

明らかに木下はこの相馬の発言に引いている。

「あ、あーえーっと…なんか変だなーって。ほら羽交い締めにして、そんなこと話すだけで人の表情が恍惚とするなんてって…あー。」
「そう言えば…。」

木下は顎に手を当てて何かを考えだした。

「あの…木下さん…気分を害してしまったんだったら…。」
「思い出した。」
「え?」
「思い出しました。そう言えばその時光定先生、写真か何か見せながら話していました。」

ー出たぞ。

「そう。写真見せながら羽交い締めにしてたんです。で、最後にこうやり取りしたんです。」


「この間、君空閑のところに資料届けてきてくれただろう。」
「はい。」
「あれは天宮から入手した写しだ。原本があいつの自宅かどこかにあるはず。」
「わかりました。自分が探して来ましょう。」53


「誰です?クガって。」
「知りません。聞いたことありません。」
「…えーっと、ということは整理すると、光定先生は天宮先生から何かの資料を手に入れた。それはクガって人のところにある。でもそれはコピーで原本はまだ天宮先生のところにあるから、それを愛人である千種くんに探して来てってことですね。」
「多分そうだと思います。」

ーまさか証拠隠滅か。クガか…。光定の交友関係を洗う必要があるな。

「聞けば聞くほど妙な展開ですね。」
「そうでしょう…。」
「でも、正直言うとほら、木下さん凄い怖がっていたじゃないですか。そこまで怖い要素はないような…。」
「相馬さん。」

木下は相馬の言葉に自分の言葉をかぶせてきた。

「相馬さんは、人殺しを命令する人をこの目で見たことがありますか。」
「なんだって…。」
「ここまでは変な世界で片付く話なんですが、ここからはちょっとありえない世界なんです。」
「それは…ここからの続きなんですか。」
「はい。」

木下の顔色が優れないように見えたため、相馬は再び彼女の手をそっと握った。

「千種くんがその場からいなくなるのを見計らって、光定先生は電話をかけたんです。そこであの人はこう言ってました。」


「ビショップ。僕だ。」
「頼みがある。」
「違う。それはもういい。」
「曽我を消せ。」
「悪いことは言わない。すぐにアイツを消すんだ。」
「天宮が死んだ。話は後だ。あれのことが曽我から漏れるとまずい。こっちは天宮周辺の証拠隠滅の手を打った。」
「早急に。」53


「曽我を…消せ…ですか…。」
「はい。」
「その曽我って人は?」
「多分、光定先生と入れ替わりで東一に行った曽我先生だと思います。」

ー証拠隠滅と殺しの依頼…。まずい…こいつは直ぐに古田さんに報告せんと…。

だがここで一旦席を離れてしまうと、木下の心を閉ざしてしまうことになるかもしれない。
相馬は迷った。

「どう思います?相馬さん。」
「あ…あぁ…。」
「私、なんだか目の前で起こってることが信じられなくて…。」
「そ、そりゃ…信じられませんよ。」
「でもやっぱり本当なんです。」
「というと?」
「私、光定先生に見つかっちゃったんです。」
「まじですか。」
「はい…。」
「当の本人に見つかったなら、どう考えても嘘じゃないですね…。ってか…よくそれで無事に切り抜けられましたね…木下さん…。」
「怖くて…動けなくって…。でもなんとかして切り抜けないとって…夢中でした。なので何を先生とやり取りしたかよく覚えてません…。ただ…。」
「ただ?」
「わたし、先生にキモいって言ってやったんです。」
「キモイ…ですか。」
「はい。そしたら( ゚д゚)ポカーンってしてたんで速攻でそこから消えました。」

ここで相馬の携帯が震えた。
古田からのメッセージだ。

「あ…ごめん。ちょっとだけいいですか?」

木下は頷いてくれたため、相馬は携帯を操作した。

「え…。」

無意識に声が漏れた。
古田からのメッセージには「曽我死亡」とだけ書かれていた。

「しまった…。」

木下の前であるにも関わらず、彼は思わずそこで頭を抱えてしまった。

「あの…相馬さん?」

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